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石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」

9月1日に

平原 礼奈 │ 2022.09.01

夏休みが終わりましたね。娘たちを学校や保育園へ送り出してほっと一息ついているところです。
長女が小学生になってから、8月末になるとなんだかそわそわ、9月1日の朝はぴりぴりしている自分がいます。その心理は「整えよう」。こどもの生活リズムを整えて、食を整えて、心を整えて、学校に行くのが不安にならないように……。
そんな私の思いもよそに、当の本人は今朝もゆったり起きてだらだら準備して友だちと合流してぽんわりした表情で学校へと向かいました。

自分が一番不安なんですよね。なぜなら私は中学時代ばりばりの心身症だったから。いつもお腹が痛くて正露丸糖衣Aを鞄に忍ばせ、学校では今日何が起こるのか不安で仕方なかった。特に月曜の朝の全校集会は苦痛でたまらず、登校中によくえずいていました。教室にただ居ることさえつらいときもあり、それでも逃げ場はなくて時間が過ぎるのをじんわり冷や汗かきながら待つ。夏休み明けとかめちゃくちゃ嫌だったな……。

その頃の私には、学校を休むという発想も選択肢もありませんでした。「休んでいいよ」と言ってくれる大人が一人もいなかったのもあるかもしれないけど、学校は当たり前に行くものだと信じきっていたし、母のご飯やサポートのおかげで風邪などもほとんどひかず、気づけば幼稚園から高校卒業まで皆勤賞。傍から見ると「あなた学校大好きじゃん」という人に見えていたと思います。

そもそも自分が心身症であることは、親や先生はもちろん、友だちは露ほども知らなかったと思う。ただ一人、自分のことをなんでも話せる親友だけが知っていて、私に心身症というのを教えてくれたのもその人でした。心の状態が体の症状へとつながる不思議は、毎日自分の体をもって怒涛の体験をしてこなければ、頭でしか理解できなかったかもしれない。「集会やだー」「あの時間がつらい」などネガティブなことを包み隠さず共有して、楽しいことも計り知れないくらい共にした親友は、私のそのときをつないでくれた居場所でした。
ちなみにわりと自由な高校に入った途端、私の症状は一気によくなっていきました。でも、いまでも教室や会議室みたいな閉ざされた空間に足を踏み込む瞬間はえいやっと勇気がいるんですけどね。

子どもを産んで気づいたのは、皆勤賞神話のようなものが自分の中にいまだに根付いていたことです。実際、小学生になった娘が「学校に行きたくない」とぐずったときに「休んでいいよ」と言えるようになるまでには葛藤があり。でもとうとう学校を休ませたときに、なんかめちゃくちゃ気持ちがラクになりました。もう中学校卒業までがんばらせなくて(自分もがんばらなくて)いいんだって無意識に感じたのだと思う。

以前、子育てカウンセラーで心療内科医の明橋大二先生に取材をしたときに、先生が「子どももね、学校に行けるなら行くんです。行けなくて悩んでる子たちがどれだけいるか。学校に行けないだけで生きている価値がないと思ってしまう子、自分の人生が終わったと思ってしまう子もいるんですよ。たかが学校ですよ」とおっしゃったのを聞いて衝撃でした。たかが学校!? ……でもそうだ、まずは命が大事。心の安全が大事。その優先順位を忘れないようにしようと、明橋先生のお話をときどき思い出しています。

今日がつらい子どもたちがたくさんいて、同じだけ不安な親もいると思うのですが、彼らに安心できる居場所や選択肢がたくさんできていくことを願わずにいられません。どうか頑張りすぎず、自分を責めず、自分にやさしくいられますように。

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研究員プロフィール:平原 礼奈

mazecoze研究所代表
手話通訳士
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行う。
人材教育の会社で障害者雇用促進、ユニバーサルデザインなどの研修企画・講師・書籍編集に携わった後に独立。現在多様性×芸術文化・食・情報・人材開発・テクノロジーなど様々なプロジェクトに参画&推進中。

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