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石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」

師匠

平原 礼奈 │ 2023.08.15

恵海さん、お盆休みはいかがお過ごしですか。私は帰省と共に持ち帰った仕事の段取りがうまいこといかず、一人で空回っているうち東京に戻る日に……。一方で、コロナで会えなかった祖母に数年振りに会うことができて、今月94歳になる誕生日を一緒にお祝いできたのは本当にうれしいことでした。

実家で悶々とパソコンに向かいながらふと浮かんだのが、師匠の顔です。仮にH先生として、彼は文章の師匠で、人生の師匠でもあり、私が大学に入学した18歳のときに、新聞記者を引退したての60歳でした。大学でのH先生の文章表現の授業は、本来学部が違って私は受けられなかったのだけど、「いいですよ」と迎え入れてくれたのがはじまりでした。

最初の授業のテーマは“手紙”。学生に3枚ずつ絵葉書が配られ、「思い浮かぶ人、誰にでもお便りを書いてください」と言われたので、私は上京して離れて暮らすことになった親と、親友と、そしてH先生に手紙を書いた。そんな感じで毎回テーマが与えられては授業の中で作文を書いて、先生が赤字を入れて戻すときに編集会議をする、という内容でした。将来文章を書くことに携わりたいと思っていた私にとってそれはもう刺激的で、文章のルールとか推敲の仕方、もっと魅力的に伝わる方法とか、相手の立場に立った伝え方とか、H先生からは本当にたくさんのことを学びました。

大学ではそれから4年間、週に一度時間を決めてH先生に個別に文章を見てもらいながら、記者時代の話を聞いたり、戯曲塾に通ったり、後の仕事につながる出版社のアルバイトを紹介してもらったり、たくさんの出会いと機会をいただきました。就職してからも定期的に仕事帰りに会合を開き、いつもたらふく食べて飲んで話して。翌日超二日酔いでふらふらしながら通勤していたのが懐かしい。

先生は酔っ払うといつも「あれから何年も初回の講義では“手紙”をやっているけど、私に宛てて書いてくれたのはまだ一人。この手紙を一番先に読む相手は誰? と考えて送ってくれたその感性を忘れないでいてください」と言った。もはやお決まりのフレーズだったけど、そう言われる度に嬉しくて力が漲ってくるような気がしたのですよね。H先生は数年前に亡くなったのですが、先生の応援がいまも私を支えてくれていて、もみくちゃになりながらも文章を書く仕事を続けていますと先生に伝えたい。

私にはいろんな師匠がいて、ほかにもユニバーサルデザインの師匠や、ファシリテーターの師匠、手話の師匠など、それぞれとの物語を書くと「シリーズ師匠」ができるほど。彼らは師匠なんだけど信頼する仲間でもあり、それぞれ自分の興味の探究者でもあり、私の人生に力と変化を与えてくれた人たちです。
さて例の如く日記は帰省ネタからあらぬ方向へ。とりあえずお盆はご先祖様と師匠たちに応援してもらって、もう少し頑張れるかなと思います。

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-都会と田舎でそれぞれ子育てしながら暮らす、ふたりのワーキングマザーの七転八倒な日常を綴る日記-

研究員プロフィール:平原 礼奈

mazecoze研究所代表
手話通訳士
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行う。
人材教育の会社で障害者雇用促進、ユニバーサルデザインなどの研修企画・講師・書籍編集に携わった後に独立。現在多様性×芸術文化・食・情報・人材開発・テクノロジーなど様々なプロジェクトに参画&推進中。

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