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石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」

百年後は

平原 礼奈 │ 2022.12.05

恵海さん、神社にあるともしびってどんな香りなんだろうー。お祖母さまの胸にそれが届きますようにと思いながら読みました。

私も少し前まで祖父母みんな元気だったのに、この数年であっという間にお祖母ちゃん一人になってしまった。
それどころか気づけば親も70代。自分にとってはいつまでも親の背中は大きいものだけど、それぞれに不便なことやできないことも増えてきました。それでも「オーディオブックで源氏物語を全部聞いたよ」とか「いつも途中で引き返していた公園一周、完歩しました。新しい景色が見えました」という連絡が来ると、力強いな、人生ってどこまでも新しい経験の連続だなと思います。

ところで年始に高校の同窓会をすることになり、グループLINEに卒業アルバムの写真がアップされたものだから、私も懐かしくなって数年ぶりに引っ張り出してみました。懐かしくて小恥ずかしい写真の数々とエネルギーいっぱいのみんなからのメッセージを眺めていくと、最後にいつも手が止まって離れられなくなるページがあります。

そこには「小さいことにくよくよするな! ←レナの愛読書。ほんとにレナは言葉では表しきれないくらいいろんなモノをくれた気がします……」と書かれてある。同じ中学に通って高校は別々になった親友が、卒業式の数日後に家に遊びにきて、こっそり卒業アルバムの最後のページに残していたメッセージです。
彼女はその数年後、19歳のときに交通事故で亡くなりました。高校を卒業して地元の企業に就職した友と、東京の大学に進学した私。生活は大きく変わってもいつも連絡を取り合って、東京にも遊びに来てくれて、もうあと数日で夏休みだから帰省したらあれしよう、あそこに行こうとその前日も夜まで電話で話していたかけがえのない人でした。まだまだこれからを生きていく光の塊みたいだった命がこの世から引き剥がされるのを目の当たりにして、あまりにも理不尽で悲しくて、私も自分の人生の一部が欠けたような喪失感でいっぱいになった。

親友が亡くなって間もない頃、彼女の写真や言葉を掘り起こしていて、卒業アルバムにもたどり着きました。「小さいことにくよくよするな!」というのは高校のときに私が読んでいた自己啓発本なのですが、その本を開いてみると、「百年後は、すべて新しい人々」という言葉が目に飛び込んできた。なぜか、「百年後は自分も死んでしまった友も、等しくこの世からいなくなっている。そこに向けて誰もがいま生きているなら、精一杯やれるだけのことをして生きる」と思えて、視界が開けたような感覚になったのを覚えています。
それから20年以上経っても、悩んだり躓いた時にはこの言葉に戻り、そしたらまず友の顔が浮かんで、この状況の見方を変えてみようとか、とりあえずやってみようとか、何を選んだら百年後の新しい人たちにいいことが残せるかなと思えてきて、心身がゆるみます。

と、私今回書こうとしていたこととまったく違うことを書いている。恵海さんのともしびに導びかれたかな。
偶然にもいま生きている、暗がりの中の一点のともしびみたいな命のこの瞬間に、家族になれたり友になれたり一緒に何かをしたりできるってもう、それだけで奇跡です。

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研究員プロフィール:平原 礼奈

mazecoze研究所代表
手話通訳士
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行う。
人材教育の会社で障害者雇用促進、ユニバーサルデザインなどの研修企画・講師・書籍編集に携わった後に独立。現在多様性×芸術文化・食・情報・人材開発・テクノロジーなど様々なプロジェクトに参画&推進中。

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