片道切符じゃなくていい。「ワーケーション」の距離感 | 十和田湖畔「yamaju」の小林夫妻がのびやかにデザインする「暮らし、はたらく」こと 後編(3/3)
十和田湖畔「yamaju」の小林夫妻がのびやかにデザインする「暮らし、はたらく」こと
片道切符じゃなくていい。yamajuが実現する「ワーケーション」の距離感
福留
「ワーケーション」という言葉から、ずいぶん深いところまで連れてきてもらったように思います(笑)
徹平さんがこれからの「ワーケーション」について思うことがあれば教えていただけますか?
徹平
ちはるさんもおっしゃってたように、「ワーケーション」って言葉が先行している気がします。その先に誰が、地域がどうなるか、というのが描けていない気がしています。
移住定住の話もそうですが。いろんな人がこれからの5年ぐらいでもっといろいろな場所で暮らしていくのではないかと思います。その時に人間が暮らすための環境で、自然に近い場所のほうが良いよねみたいな気づきを多くの人が感じるようになるのであれば、もう少し住まい方とか住む場所を選ぶとか、身近な環境に自分で手を入れて変えてみるとか、そういうことに繋がってくるんじゃないかなと。土地に縛られている人って、若い世代では少なくなってきているので。そういう意味でも、もう少しみんな自由になっていくと面白そうだなと思います。
福留
なるほどなぁ。その自由になれるきっかけの場所がまさにyamajuだったり、お二人のスタイルみたいな感覚ですよね。
徹平
そうなったら良いなと思います。あとは、動ける人と動けない人などの二極化しないように社会全体でのシステムも考えていかないといけない気はしますが……。
私たちはyamajuにいて、お客さんと話したり、ウェルカムパーティとフェアウェルパーティは自分たちが飲みたいから頻繁にやってるんですけど(笑)
福留
行きたい(笑)
徹平
よくこの地域の仲間とかみんなで集まっていて「十和田湖畔の暮らしに入れてもらえてすごく楽しかったです」と言われるんです。ある意味、その地域を擬似体験できる場所。それってたぶん普通のゲストハウスともちょっと違うと思うし。少人数だし部屋が少ないからできるってことでもあるんだろうなぁと。
福留
最近思うんですけど、なんかこう移住定住とその手前の間にすごく距離があるというか。やっぱりまずはその地域を知って、行ってみてから通うようになって。で、まさにお二人みたいな地元出身ではないけれど、地元にきちんと溶け込んでいる人たちとの交流を通して、現地の暮らしを体験して。多分そこからだよね、移住定住の話って。
えり
うん、うん。
福留
いまは、0か100か。「東京から出て、移住するかどうか。戻れません、片道切符」の空気感。でも本当は0と100の間の、50とか70の携わり方もあって良くて。だからまさにそれをyamajuが実現していることなんだろうなと思います。
さっき徹平さんが少人数だし部屋が少ないからと言っていたけど、これからの時代に強みを発揮できるのはより小さい組織なのかなと思っていたりもして。いま私が個人事業主として、プロジェクトベースで仕事をやっている感覚にも近いかもしれないけど、経営判断や意思決定の複数階層があって迎えるコロナ禍と、お二人みたいな機動力があり意思決定も早く、永住しなくても良いみたいなスタンスでやっている人たちの差はさらに大きくなっていくんじゃないかなって。yamajuの強さには、いわゆるレジリエンスを感じるんです。
二人が目指すyamajuの未来
福留
最後に、いまコロナもあり、急速に暮らしや働き方の多様化が加速するなかで、お二人が目指すyamajuの未来について教えていただけますか?
えり
時代についていけてない大人にならないように、身の振り方は考えたいかな。
レッテルを貼らない、貼られない、何か枠を決めることじゃないというスタンスで、yamajuにきてもらいたいですね。暮らしを擬似体験してもらっても良いし、1ヶ月滞在してそう言うのを何年かに一回続けるような地域との関わり方でも良いし。近隣の料理人やアーティストにyamajuという場所を使ってもらいたいので、自分たちで専門外のところまで頑張るよりもそういう連携もできたら、場所としての価値も多様になっていくのかなと今は思ってます。
徹平
yamaju自身は行き当たりばったりで始めているので、yamaju自身がゆるやかに続いていければ良いなと思っています。今のところスタッフもいないですし。うちみたいなリノベしたお店はいま地域に一軒しかないので、あと5軒くらい周りに可愛いお店が増えて、集落全体が気持ちよく歩けるようになれば良いかなと思ってます。えりとも今話してるんですが、空き家情報ってなかなか外に出ていかないし、まとめてある場所もないから、それもyamajuとして今後整備していきたいなと。
福留
なるほど。そういう意味では、えりちゃんが言っていたレッテルを貼るということが、悩ましいほど従来の文脈での観光案内所でもあり、食堂でもあり、不動産屋でもあり……ということだよね。そしてyamajuのできることの広さよ。
徹平
よろずや。
福留
よろずやだよね。
えり
あと「ワーケーション」もどこかが定義していたと思うんだけど、それも本当に千差万別で、人の働き方やペースとか、どちらに重きを置いているかもみんな違うので。うちに来る人はみんなしっかり仕事してるけど、それでも晴れの日は潔くミーティングを調整してカヌーをやったり。それぞれの暮らし方、働き方のお手伝いをyamajuができれば良いなと思っています。
福留
場所にとらわれず、のびやかに自分のあり方、ひいては暮らしや働き方を選択し、実現していく過程をお二人から聞けて感銘を受けたし、本当によかった。何よりも来年はコロナがもう少し落ち着いたら、私もyamajuに遊びに行きたいと思います! 今日はお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。
えり&徹平
ありがとうございました。
編集後記
のびやかに「暮らし、はたらく」をデザインする素敵な小林夫妻と、実はこの冬新たに取り組む商品開発があります!
大分県から、紙でつくる自由な名刺入れ「KAMIKA」を展開されている後藤美佳さんとともにつくるyamajuオリジナル「十和田湖の新しい名刺入れ」。
デザインはなんと小林夫妻。完成は1月予定です(価格未定、yamaju店頭のみで販売予定)。ぜひお楽しみに。
お話を伺った人
小林徹平さん
風景屋ELTAS代表。東北大学学術研究員、ナミイタ・ラボ サポートメンバー 。神奈川県秦野市出身。2010年早稲田大学理工学部社会環境工学科卒業、2012年 早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。同年より、仙台へ移住し都市計画系コンサルタントで復興計画策定に従事、同年11月より東北大学災害科学国際研究所助手。最大の被災地である石巻市の復興計画策定に都市計画・土木・建築の観点から参画。 2017年4月、風景屋 ELTASとして独立。
小林恵里さん
風景屋ELTASディレクター/バイヤー。福岡県生まれ東京育ち。2009年早稲田大学国際教養学部卒業。東京の国際見本市主催会社にて、3年弱セミナー企画運営を担当。その後小さな古本屋を立ち上げ、約1年仕入れから値付け、在庫管理、店頭販売まで経験。軌道に乗った店を共同経営者に託し、約1年間外資系インターネット関連企業人事部にて新卒採用に従事。2013年一般社団法人ap bankへ転職後、2014年にはReborn-Art Festival(芸術祭)の立ち上げのため石巻に移住し、実行委員会の立ち上げから行政との連携、アーティストや現地協力者の対応まで幅広く業務を担当。2017年夏に第一回Reborn-Art Festivalの開催を経て退職。2017年11月より夫が主宰する風景屋ELTASへ参画。主にイベント企画運営、ブランディング、ディレクション業務を担当する。