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影響し合う地域との関わり方 |十和田湖畔「yamaju」の小林夫妻がのびやかにデザインする「暮らし、はたらく」こと 前編(1/3)

福留 千晴 │ 2020.12.23

十和田湖畔「yamaju」の小林夫妻がのびやかにデザインする「暮らし、はたらく」こと

多様な越境の価値を起こす人たちに光を当てたい

こんにちは。mazecoze研究所 研究員の福留です。
先日はじまった「mazecoze研究所×ワーケーション特集」ですが、今回は、私が現在各地のプロジェクトに携わる中で出会った、すでに「多様な越境の価値創造」を実践している人たちに改めて光を当てたいという趣旨。
お話を聞いてみたいと真っ先に思い浮かんだのは、私の同級生であり、現在青森県・十和田湖畔でコワーキングスペース&ゲストハウスを運営している小林恵里さん夫妻です。えりちゃんとは大学時代きちんと話したことがなかったのだけれど、卒業後十年以上細々とつながる中で、興味や活動領域が似ていることもあり最近急接近中の不思議な関係。今回急遽「ワーケーション」というテーマを通じてオンライン取材が実現しました。

十和田湖と小林恵里さん、小林徹平さん夫妻

取材させていただく人
青森県・十和田湖畔でメンバー登録制のコワーキングスペース&長期滞在者専用ゲストハウス「yamaju(やまじゅ)」を運営する小林徹平さんと、小林恵里さん夫妻。仙台との二拠点生活で「風景屋」という暮らしを総合的にデザインする会社も運営している。

東京じゃなくてもいい。自分が活性化させる必要もない。でも影響し合う地域との関わり方

yamajuの素敵なコワーキングスペース

福留千晴(以下、福留)
mazecoze研究所では、色とりどりな視点をもとに、多様な選択肢や一人ひとり違う自由の形を探究発信してきました。研究員と呼んでいるメンバー自体がそれこそ多様な暮らし方、働き方を実現していることもあり、今回ワーケーションを「多様な越境の価値創造の場」という切り口で捉えた企画を立ち上げることになって。
いまあらゆる場所で「ワーケーション」という言葉が増えているけど、その言葉がややワード先行気味で、「何か特別な人たちのための特別なツール」になっているんじゃないかなという、これは東京に住んでいる私の目線でもあります。
その中で、えり夫妻がすでに「ワーケーション」という言葉が出てくる前から「多様な暮らしと働き方」を可能にする場所を作っているなと私は解釈していて。

小林恵里(以下、えり)
よろしくお願いします。
ちはるちゃんは、私たちが十和田湖畔を選んだ経緯を面白がってくれたんだよね。

福留
確か徹平さんがある日「オフィス借りてきたよ〜」と帰ってきたという逸話でしたよね。

えり
そうそう、380平方メートルだったかな。

福留
えっ(笑)それは大きいですね。
徹平さんは、いつか地域で自分の場所をつくりたいという気持ちが以前からあったんですか?

小林徹平(以下、徹平)
いや、ぜんぜん考えていませんでした。
仙台でよく行く飲食店の人たちと話していて、すごく魅力的だけど、大変なものだなとは思ってました。

福留
なるほど〜。普段私が接している、地域でゲストハウスをやっている方なんかは、小さい頃からの夢でっていうことが多かったりするので、それは意外。お二人とも首都圏の出身で、すごく自由に自分のスタイルに合わせて暮らす場所や暮らし方をデザインされていますよね。
これまで日本では「地方創生」という言葉が2014年に出始めてから、各自治体や物流の流れなども含めて、一度東京を経由せざるを得なかったものが多かったと個人的には理解していて。それがもしかしたら、この「ワーケーション」というもので地域から地域への流れとか、東京を介さない関係人口のあり方とか、地域との携わり方の具体的な提案や手段になりうるんじゃないかなとも思っています。あくまでも東京の私の視点だとは思うけれど、地域で場づくりをしている二人の視点もお聞きできればと思っています。

えり
私たちはいま周辺の宿泊施設や交通機関等とワーケーション推進協議会というのを作って活動しているんですが、うちにくるゲストの人たちはまさにいま「ワーケーション」と呼ばれる滞在の仕方をそもそもしてきていたので、改めて「ワーケーション」と解釈することやうちのゲストの過ごし方などの知見を共有することが地域のためになれば良いな、と思ってやってたりします。
「地方創生」や「まちづくり」という言葉は私たち普段使わないようにしているんです。ふたりとも地域に入って仕事をする機会が多くて、そうすると「まちづくりの人でしょ」「地域づくりのことをやっている人でしょ」ってなりがち。でも、地域を作るのは地域の人であって、誰かに作られるものではないと思っています。私自身、自分が暮らしたいと思っている場所で、その地域の人と協力できるところは協力するし、違う場合は無理に携わる必要はないし。自分が「活性化するぞ!」と思って地域に入ったことはなくて、自分がたまたまそこに存在することで地域が活性化しているのであればそれはある種、「地域活性」や「地方創生」になるのかもしれない、そんなふうに考えていて。自分が地域で起こす行動が影響を及ぼすことはもちろんあるので、それが悪影響にならないように努めるっていうことを震災後、滞在していた石巻でもそうだし、いまの十和田湖でも意識していることかな。

福留
ちょっとお聞きしたいのが、えりちゃんは震災があってから東京を離れているよね。それは何か自分の中で今後暮らす場所は「東京ではない」とか「いつか地域で暮らしたい」とか、明確なきっかけがあったりしたのかな?

えり
その観点でいうとどちらもあまりなくて。もともと大学にいた時から、国際協力とか、国際関係学とか平和学を専攻していた背景もあって、どちらかというと何かが起きていて、それを見聞きした場合、自分に何ができるのかを考えることが多かったんだよね。東京ではないというよりは、そのとき必要だと思った場所で暮らしているという感じかな。

福留
自分のやりたいこととか信念を貫いた結果として、住む場所がついてきたという感じなんだね。

その場所がその場所らしく、ここでしかなし得ない形で続いていくための「標準化」と「共存」を目指す

十和田湖に入りはじめた頃の小林夫妻とyamajuの設計を協働した飯塚さん・山下さん

福留
お二人のこれまでの経緯を聞くだけで、私1時間ぐらい使っちゃいそうなんですが(笑)徹平さんは、将来地域でこういうことをしてるイメージをもっていましたか?

徹平
うーんと、なかったです。十和田湖のyamajuの計画中も47都道府県全部にこういう場所作ろうぐらいの気持ちで始めました。例えば、十和田市って移住者補助金があって空き家改修すると最大で300万円おりるんですけど(当時)、もらわないでやりました。それはある意味ではどこの地域でも同じ活動ができるように、基礎自治体にそういう制度がなかったら新しく事業を興せないのは嫌だと感じて。

福留
補助金ありきではなく、全国の地域に自力で作れるようにはじめたんですね。

徹平
そうですね。ちなみに、yamajuの運営も、40歳ぐらいになったら自分たちが店頭に立つのはやめたいねと話しています。
結局、この地域に関して言えば、不動産、如いては人の新陳代謝が行われなかったことで、地域のアップデートが行われてこなかったことが地域全体の課題になっていると感じています。わたしたちがずっとここにいると、それが起きないのかもしれない。この地域の魅力を開け放すことで、新しい人たちが入ってこられるのであれば、そういうふうになったら良いよね、と思っています。私はこの地域の計画者として入っているので、調査で初めて入ったときの結論は、当初の想定課題であった外観の問題ではなく、中身が変わっていかないから、だった。だから中身を作ってみようということで、集落の中で大事な場所にある使われていなかった建物を自ら改修した感じなので。

福留
計画・設計の専門家としての徹平さんの視点、すごいなぁ。47都道府県どこでもできるようにって考えたのはなんでだったんですか?

徹平
ひとつのところにいるよりも他の地域の特徴も知ることでより自分の地域も見えてくる。それが、楽しいです。一つの地域にどっぷり入り、調査や人間関係を構築することはもちろんやるし、やらなきゃいけないことですが、色々な人と色々な地域で遊びたい? 付き合いたいなという感覚です。ただ一件目は自然環境がずば抜けて良い十和田湖でよかったなと思っています。

福留
マーケティング的に言うと、よく「差別化」とか言われるじゃないですか。でも「差別化」ではなく、「標準化」を目指されていると。以前、NUMBER333というメディアの記事で読んだ「ここに来てもらう人はこっちが決めるものでもないし」と言う二人の佇まいが個人的には大好きで。多分私はyamajuのターゲットみたいなものがあるとすると、そこに入っていると思うんだけど、すごくなんか……なんだろうな。めちゃくちゃ面白いですね。

えり
「標準化」を目指すのと同時に、この土地で誰もやっていないことをやる(地域の既存の商店とかぶらないように)っていうのは意識してることでもあるかな。それはマーケ的視点というよりは、地域の人を尊重するというか、私たちが新たにチャレンジしていることを見て、変わる人は変わるだろうし、変わらないものは変わらないだろうし。あとは純粋に、すでにそのビジネスをやっている人たちの二番煎じをやって邪魔したくないというのはありました。だから全国に行きたいという感覚はてっちゃんの方が強くて、私は最初は、何言ってんのと思って(笑)

福留
おー、お二人の間でも、こうしたいという意識の違いがあるのもなんか、いいですね(笑)

えり
てっちゃんは専門家だから、観ている視点が違うし、写真の撮り方も違うんです。違う感覚で生きている人なのでできればやったら良いんじゃないと思っているけど、私はただ好きなところに住みたいだけかな。

福留
47都道府県に行きたいと言うのはあっても、十和田湖畔を選んだのには徹平さんを留まらせる何かがあったのかな?

徹平
単純に、一番最初に縁があった十和田湖で始まっています。いまある地域で仕事していて、都心から2時間半ぐらいの場所に島があって。田んぼもあって松茸も取れて海に囲まれてて非常に良い島なんだけど、そこにyamajuみたいな施設があったら良いなという話があって。このふわっとしているけど良い環境があると聞いている状況は十和田湖の時と似ているぞ、と感じています。そのうち、オフィス借りてきたよ、と妻に言うかも知れません。(笑)
私が地域に行くときに大事にしてるのは、「その場所がその場所らしく、ここでしかなし得ない形で続いていくこと」。yamajuの時も思ったんですけど、この地域に、この地域らしく生きていくためにこういう機能と場所があった方が良いよねって言う場所を空間化しようという話なんです。基本的に続いていくことを主題として考えているので、どの地域に行っても思っているのは、その地域でやらねばならぬことは絶対に違うはずで、環境がそれを決めていくというのはあります。あと僕は暖かい地域に行きたいんで、九州出身のちはるさん、もしどこかあれば。

福留
是非―! あのね、別府の奥にすごい面白い地域があるんですよ。鉄輪(かんなわ)温泉って、鉄の輪って書くんですけど。行きたいねぇ一緒に。

えり徹平
行きたい〜。

福留
ただ鉄輪の話しちゃうと3時間ぐらいかかっちゃから(笑)それは改めてなのですが。お二人の話を聞いて改めて思ったのが、いま各自治体が進めている「移住・定住促進」とか、生きる上で何をするかよりも場所を選ばなきゃいけない、場所ありきのような空気感があったりすると思うんだけど。お二人はあくまでも、やりたいこととかやるべきことが先にあって、そこにあう場所があればというスタンスですよね。設計する人ないしは企画する人がそこで感じたこと・考えたことをベースにその先の体験価値まで作っていけたらすごく違和感のないものになるんだろうなと思いながら聞いていて。yamajuも今後いろんな場所に増えていくかもしれない、そのある種ゆるいスタンスで、こんなに素敵な場所を作ってしまって、域外からきちんとたくさん人も来ていて……本当に凄いなと思います。

徹平
yamajuは2018年6月に借りて、工事着工したのが1年後の2019年の7月なので。本当に一年間過ごしてから作っています。大きい絵は描いていましたけど、自然環境が極めて特殊なので、1年住まないとわからないなぁと。それこそ私は専門家としてこの地域に初めて入ってきた時は、いつの間にか地域の人から「なんかあの先生(徹平さん)、住み着き始めたぞ」と(笑)

福留
なんと!(笑)

徹平
それまではいろいろな先生たちが講演に来ては、地域の人たちがダメ出しされていたらしいんです。こんなに良い地域なのに。僕は当時、東北大学研究員だったのかな。来てからめっちゃ楽しそうにしてるみたいな。地元の人に「なんで10月なのに半ズボンで歩いてんだみたい」に言われていました(笑)ただ、学者嫌いみたいのは感じていたので、無意識に中途半端なことはできないなと感じていました。

福留
やばい(笑)でも地域を知り地域の人との関係性をつくるという視点ではすごい!

徹平
いきなりガッツリやっても引かれるかなって。こういう人が少しうろちょろするけど許してねっていう気持ちもあって。なので1年目はわりとリサーチして、小さい本を作ったんですけど。(「湖畔の風景〜地域の人に教わった16のまなざし」)

福留
素晴らしいですね。地域との携わり方はどこで身につけられたんですか?

徹平
私も震災後、石巻に入っています。被災地での仕事は故郷を奪われた人たちに対峙する仕事なんですが、時間がない中での計画策定で相手のことを知らずに計画している人も横目には見ていて、それはひどく失礼なことだなとも思ってきました。そういうことはやめたいなと思っている矢先のプロジェクトだったこともあります。

―中編・後編へと続く―

お話を伺った人

小林徹平さん

風景屋ELTAS代表。東北大学学術研究員、ナミイタ・ラボ サポートメンバー 。神奈川県秦野市出身。2010年早稲田大学理工学部社会環境工学科卒業、2012年 早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。同年より、仙台へ移住し都市計画系コンサルタントで復興計画策定に従事、同年11月より東北大学災害科学国際研究所助手。最大の被災地である石巻市の復興計画策定に都市計画・土木・建築の観点から参画。 2017年4月、風景屋 ELTASとして独立。 

小林恵里さん

風景屋ELTASディレクター/バイヤー。福岡県生まれ東京育ち。2009年早稲田大学国際教養学部卒業。東京の国際見本市主催会社にて、3年弱セミナー企画運営を担当。その後小さな古本屋を立ち上げ、約1年仕入れから値付け、在庫管理、店頭販売まで経験。軌道に乗った店を共同経営者に託し、約1年間外資系インターネット関連企業人事部にて新卒採用に従事。2013年一般社団法人ap bankへ転職後、2014年にはReborn-Art Festival(芸術祭)の立ち上げのため石巻に移住し、実行委員会の立ち上げから行政との連携、アーティストや現地協力者の対応まで幅広く業務を担当。2017年夏に第一回Reborn-Art Festivalの開催を経て退職。2017年11月より夫が主宰する風景屋ELTASへ参画。主にイベント企画運営、ブランディング、ディレクション業務を担当する。

研究員プロフィール:福留 千晴

「地域と食のしごと」NORTHERN LIGHTS代表/mazecoze研究所企画・編集・広報・新規事業開発
鹿児島県出身、実家は大隅半島で芋焼酎の芋を育てる農家。カナダ・モントリオールでの映画学専攻や10カ国以上へのバックパッカー経験、広告会社勤務を経て、現在は中小企業や自治体においてソーシャル&ローカルデザインのプランニングからプロデュース、クリエイティブ、PRまで一貫して行う。2017年、経産省「BrandLand Japan」にて全国12商材の海外展開プロデューサーに就任。焼酎唎酒師、日本デザイナー学院ソーシャルデザイン科講師。
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