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私たちの考える多様性と越境の座標軸①

福留 千晴 │ 2021.10.13
東京とオーストラリアからこんにちは

こんにちは。福留です。
現在、コロナ感染者数が落ち着き始め、以前のような生活を取り戻そうとし始めているわけですが、コロナ禍の影響が長期化するにつれて、様々な日本社会のこれからの未来に向けた課題などが浮き彫りになってきていると感じます。

そして日々、国内外や日本各地の多様な方々とプロジェクトでご一緒させていただく中で、ここ数年私自身が感じていた課題感や苦しさみたいなものを、特に同世代の方々や友人からお話いただいたり、共有する場が多くなってきているように感じています。今回は大学の同級生と「私たちの考える多様性と越境の座標軸」というテーマで新たな企画を始めることにしました。

ある種、実験的なプロジェクトでもあり、私たちの視点で、現在日本社会が抱えている課題を紐解き、可視化したり、何かが変わるきっかけになれば良いなと思っています。

多様性はどこから生まれるのか

今回参加するメンバーは、私の大学同級生でもあり外資系企業で働くクセニヤ、オーストラリアからリモートで日本の大学の仕事をしているしおりちゃん、東京で個人事業主をしている福留(私)、そしてファシリテーターとしてmazecoze編集長のひらばるさんです。
それぞれの場所で働きながら、自己実現をはかり、家族をもったりしている3人+ひらばるさんですが、今回はそれぞれのケーススタディとして、それぞれが多様性や越境について考えることになったきっかけや課題意識を共有したいと思います。

福留
今回話してみたいなと思ったのは、ここ最近クセニヤと話す機会がすごく増えて、お互いいる場所や環境が違っても、抱えている課題感がとても似ているなぁと思ったことから。改めて私はいま個人事業主として、「地域と食」というテーマで日本各地のプロジェクトに関わらせていただいたり、幅広くソーシャルデザインをテーマにこのマゼコゼでご一緒させていただいたり、講師をしていたりするんだけど、その中で「多様性と越境」というテーマをここしばらく考えたり、自分自身の壁にぶち当たったりすることが多くて。そんな背景もあり、今回みんなと課題をシェアしてみたいなと思いました。

福留千晴
鹿児島生まれ、その後転勤族で各地を転々。
クセニヤと大学の同期で、大学時代は多様な環境で学びモントリオールに留学する。広告会社勤務を経て、現在は個人事業主として「地域と食」やソーシャルデザインをテーマに日本各地のプロジェクトに携わったり、学校で講師をしたり、おなじみマゼコゼで編集執筆にも携わる。

クセニヤ
私はもともとロシアで生まれで、7歳の時から日本の兵庫で育って、伝統的な日系企業を経て、現在は異なるカルチャーの外資系企業で働いています。今日のテーマが「多様性と越境」ということだけど、このテーマに行き着いたきっかけは、いまの職場が私のように二児を育てながら働いている人が意外と少なくて。それで後輩から「どうやったらクセニヤさんみたいに仕事と家庭を両立できますか?」という質問をよくもらって、女性の悩みが10年前から変わらないことに驚いた。私自身も、試行錯誤しながらやってきた結果がいまの状況だし、まだまだ正解がわからない中でもあるのと、そういった後輩たちに対してどんなことができるのかな、と模索し始めたことがきっかけでした。

Xeniya Zolotaryovaの画像のようです
リョクセニヤ
ロシア生まれ、関西育ち。日本の公立小中高→日本とロシアの大学→日系企業(商社)を経て現在外資系企業勤務。育休中にベルリン自由大学の大学院にて取得した修士の論文テーマは女性の社会進出について。現在、年子の男児二人を育児しつつ日本の労働市場と環境に思いを馳せ中。

しおり
私はいま日本の大学で特任助教という仕事をしているのですが、元々は兵庫県の淡路島で生まれて姫路市で育ち、高校2年生からはずっと海外という生活をしていました。いわゆる「真面目」なタイプだったと思うのですが、自分が「レールから外れる」ような、社会の「〜べき」という枠組みから外れた経験があって、20代で離婚を経験しました。そこから世界を見る目がガラッと変わったように思います。その時に社会問題の全てがジェンダーにまつわる課題に見えて。そんなこんなでここ10年ほどジェンダーの研究をしています。私はコロナをきっかけに、オーストラリアからリモートで仕事をしているのですが、ここでは従来研究していたジェンダーだけではなく、自分がアジア人であることも踏まえた、ジェンダーとエスニシティ(民族性)やアイデンティティの関わりなどを研究しています。

赤藤詩織
兵庫県淡路島生まれ、姫路市育ち。女子校でのびのびと過ごし、高校2年から思いきってインドの高校へ。その後海外を拠点にジェンダーの研究者になり、現在は日本の大学で日本社会とフェミニスト人類学の研究を行っている。クセニヤの従姉妹。

福留
色々と深掘りしたいテーマがすでに盛り沢山なのですが、mazecoze読者が知っているようで実は知られていない(?)ひらばる編集長のプロフィールもおさらいして良いですか?

ひらばる
はい。私はもともと人材教育の会社に8年ぐらい勤めて、障害者雇用促進の研修企画や講師、書籍編集などをしていました。もっと社会とおもしろく、やわらかく、多様性を追求していきたいなと思って、10年前に独立しました。それから結婚して子どもを二人産んで保育園の待機児童なんかも経験しながら、仕事では多様性から価値を起こしていく色々な活動にプロジェクトベースで取り組んでいます。特に思うのは、人との関係性の築き方が変わったこと。目的を真ん中に置いて、それぞれができることや得意なことで関わるので、ご一緒する方々はパワフルで自立した方が多くてとても魅力的に感じます。しなやかな関わり合いというのかな、そんな中で働くことがすごく楽しいです。もちろん何をするにも壁はたくさんありますけども(笑)

平原 礼奈の画像のようです
ひらばるれな
mazecoze研究所代表・編集長
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行い様々なプロジェクトを推進。

「~べき」枠組みから外れて見える、多様性の入り口

福留
今日は初回なので、ぜひそれぞれが抱える課題意識などを可視化しつつシェアしたいなと思っているんですが、さっきしおりちゃんが言っていた、社会の「〜べき」という枠組みから外れるような経験って私は多様性を考える上ですごく重要な気がしていて。それは自分がいまどういう場所に置かれているかを認識する入り口としても。「自分の道がいま閉ざされているな」という瞬間は、「多様性と越境」を考えるには避けて通れないんじゃないかなと。よければ皆さんの多様性を意識するきっかけというか、「枠組みから外れたな」と感じた瞬間があれば教えて欲しいです。

クセニヤ
私はもともと外国人だし、途中から日本に来ているという意味では常にアウトサイダーではあったんだけど、勉強は頑張れば評価されるし、割と機会は均等にあったと思っていて。そこからガタッと外れたと感じたのは、子どもを産んだ時かな。それまでは「日本人男性のフリ」が体力的にも時間的にもできていて、実際そういう働き方もできていたし、特に不満はなかったんだけど。自分に子どもが生まれた時に視点がガラッと変わって、社会との繋がりがなくなったり、社会的に弱い立場になったなというのをすごく感じた周りの人からの目も、対等ではなくなったのをすごく感じた。例えば夫と調整の上で必要に応じて残業していると、上司から多分良かれと思って「家に帰ってご飯作らなくていいの?」と言われたり。周りの男性スタッフにあなたはその言葉をかけていますか?と。そういうことが積み重なり、「戦力ではない」と認識されてしまうんだなと。かつ、組織の意思決定は上から降りてくるので、いかに私が「働けるんです!」と言ったとしても、なかなか難しくて、それで私は初めて転職も視野に入れたと感じているんだよね。

福留
クセニヤと前に話していた時に、海外出身とかロシアのアイデンティティを持ちながら日本で生活していく上での苦労もすごくあったと聞いていたんだけど、そのあたりは一番の壁としては上がってこない感じ?

クセニヤ
それは「主体的に乗り越えられる壁」だったのかなと。自分でどうにか気合いと根性で頑張れば、どうにかなってきたんだけど、さっきあげた問題は、初めて「自分の力では乗り越えられない壁」というふうに感じた。もちろん、子どもを置いて、今まで通り男性と同じように「働きます!」といえばよかったのかもしれないけど、実際には働き方自体が変化することは事実なので。直接的ではない間接的な課題に対してどう対処すれば良いのかわからないというのも含めて。

福留
余談だけど私は日本社会に30年以上暮らして、家庭も築いているクセニヤが、投票権がないということがすごく衝撃だった。あとは産院の予約をするとき名前を伝えら「海外の方は受け入れられない」と断られた話とか。これは私の不勉強もあるけれど、単純に私は友人が社会からそういう扱いを受けているということがショックだったんだよね。その中でも、いま話してくれた「自分の力では乗り越えられない」社会的な壁、というのがいまの課題感は強いと。もししおりちゃんもそのような経験があれば教えてもらえますか?

博士の卒業式にて(しおり)

しおり
私が「枠組から外れたな」と感じたことは2つあって。
1つ目は、オーストラリアの大学で法学部から文化人類学部に転向した時。法学部の時は間違った英語を絶対話してはいけないと思っていて、乗り越えられない言葉の壁を常に感じていました。それが、人類学部に移って「みんな違う英語を話すなんて当たり前じゃん」という新しい価値観に接して、衝撃を受けました。東大の本田由紀先生が最近の研究で、経済、法律、政治などのいわゆる社会の「A面」()を専門とする学部の学生は「能力主義」に賛同する傾向があり、文学や社会学、福祉を専門とする学部の学生はそうではない傾向が強いと仰っていたのですが、私の経験からもまさにその通りでした。それからは「能力主義」とは誰が一番実現しやすいように作られているのか、社会の壁は誰だったら乗り越えられるように作られているのか、と考えるようになりました。
*漫画家でエッセイストの田房永子さんが提唱する「社会のA面・B面」
女性は出産すると、それまで存在していた経済社会における「A面」から、全く違う世界観の「B面」の住人になるというジェンダー論。

2つ目は、シンガポールで就職した時。それまでは、欧米社会に同化するために、あえて自分の「アジア人女性」としてのアイデンティティを排除するような形で生きていたと思います。研究でも自分を”女性”という枠組みで捉えて欲しくないから、ジェンダーのことは話さない、エスニシティのことは置いておこう、と無意識に考えていたと思う。それが、シンガポールで就職してたくさんのアジア人女性のメンターに恵まれ、初めて、ありのままの自分を肯定できた。突然、肩の力が取れて、ふっと楽になったような気がしました。その経験から、しんどいのは自分の努力不足のせいではなく、社会的な壁があるからだともわかった。この気づきは今の自分の「ジェンダーとエスニシティ」という研究にも大きな影響を与えていると思います。

福留
いまオーストラリアに住んでいて、その辺りはどうですか?

しおり
30〜40代のアジア人女性研究者のロールモデルを見つけることが今の課題かなと思っています。研究をすごく頑張らなきゃいけない30〜40代という時期が、家庭形成期と重なって、その両方をされている方がいるにはいるのですが、見えにくい。家庭のことを職場では語らない、という文化があるからかも。そういう意味で、年齢が上がるにつれて多様性は少なくなる気がします。

クセニヤ
ここの課題感は、他の業種でも共通のものだよね?大学もそうなんだとびっくりした。私もいま周りの環境って、男性と20代女性は割といるんだけど、30代以降の女性はそれに比べてかなり少ない。びっくりするぐらいみんなどこ行ったの?と思う。

福留
そう、みんなどこに行ったの?(笑)
本当にさっきしおりちゃんが言っていた、「その環境に同化するために自分のアイデンティティを排除する」って、たぶん女性はみんなどこかでやってると思うんだよね。私が新卒で入った会社の部署も、まずロールモデルどころか女性がいない。その中で当時の自分も、自分のアイデンティティを排除しながらも、”女子力がない”とか言われて大きな矛盾の中で仕事していたんだけど(笑)当然ながら自分のアイデンティティを排除することはできないし、無理をしてたなと思う。そしてやっぱりそういう無理のある働き方ってどうしても限界が来るしサステナブルじゃないんだよね。

ひらばる
福留さんの「社会の枠組みから外れた」経験もぜひ聞いてみたいです。

福留
私は大きく2つぐらいかなと思っていて。
さっきクセニヤが言った「自分の力で乗り越えられる壁、そうではない壁」という話がすごく重要だなと思っていて、私は最初の体験として両親の離婚が大きかったかなと。私が育ったのは日本各地からの移住者が多い郊外の小学校で、いろいろな地域出身の子がいたり、アフリカ出身の子がいたり、障害がある子がいたりして本当に自由に伸び伸び暮らしていて、学校が楽しくて恵まれていたと思う。両親が14歳の時に離婚して、14歳なんてまだ子どもだし、親から庇護されている立場で自分にできることはほとんどないという圧倒的な力関係の差みたいなものを感じたこと、当時は母子家庭への理解やサポートもほとんどなかったことなどが、それまで意識していなかったけど、自分ではできることがほとんどないという「枠組みから外れた」原体験だったかなと思う。その時の体験で身をもって学んだことは「物事には良い面と悪い面が必ずある」ということと、「自分から見えている世界が全てではない」かなと思う。
あとその時に感じた「日本社会における戸籍制度のデメリット」というのは私そこから20年ぐらい、いまも引きずっているんだよね。それはその後、結婚した時にも思ったんだけど、やはり100年以上前に基礎ができた戸籍制度のフォーマットに、現在の家族のかたちや個人のあり方を当てはめることの限界というのは常に感じていて。いま私は旧姓で仕事していて、本籍は新姓なんだけど、そもそも「女性の個人事業主」というのが社会的に想定されていないから、日々ものすごく不利益を被っているし。
2つ目は、子どもを持った時で、クセニヤの話していたことに120%共感。私もどちらかというと体力と根性で乗り切ってきたタイプだったんだけど(笑)、やっぱり初めて結婚したり子どもを持った瞬間に「社会が自分の目を見る目が変わる」ということを感じたかな。私の場合は結婚したタイミングで独立しているんだけど、誰も私のその後の仕事の話を全く聞かなくなったんだよね。みんながその後、私が仕事をしないと思っていることがすごく不思議で、働くことが想定されていない存在になった、というのが自分でも不思議だった。それはたぶん子どもを持った後も加速しているし、特にいま会社や組織に属していないから、保育園の先生方なんかもいま私は何してるの?っていう感じがすごく伝わってくる(笑)

自分が何をしているのか、自分でもわからない(福留)

クセニヤ
戸籍問題、めちゃ面白いなと思って。実は私、戸籍ないのね。夫婦別姓だし、それは私が外国籍だからなんだけど、ただ夫の戸籍の妻の欄がいま空白っていう状態。で、補足的に備考欄のような部分で「ちなみにこのロシア人と結婚しています」みたいな(笑)これって、結構屈辱的じゃない? 別にいいんだけど。。

福留
空欄にする必要なくない?

クセニヤ
ないよね? 子どもたちも夫の戸籍には入ってて。だから妻だけが若干の不在みたいな。私はたぶん、日本における外国人の中では日本語も使えるし、職業もちゃんとあるしっていう意味ではかなり社会的には恵まれている方だと思うんだけど。でももしそうでない人だったら、このシステム自体の餌食になるというか。

福留
声もあげられない人の方が多いよね。
私も程度は違うし、ひらばるさんもそうだと思うけど、個人事業主ってなぜか世帯で括られる。一個人として納税して存在してるのに、夫名義で通知が来る。申告に必要な大事な書類でも見落とすし、管理元からすると「管理手続き上の問題であって、そういうこと(存在を否定しているとか)ではないんですよ」っていうことかもしれないけど、やっぱり個人がちゃんと存在していることとか、社会からきちんと認められているっていう認識にすごく重要だと思うんだよね。しかもこの問題、日本ではあらゆるところで「システムやフォーマットに個人を当てはめること」が起きていて、私はもうそれやめね?って率直に思う。もっときちんとデジタルも活用しながら。マイナンバーカードもきちんと徹底していれば、いろいろな問題も解決してるよね。

クセニヤ
逆にいうと、この50年とかで社会が複雑化したんだよね。それでここにいる4人やそれ以外の人たちがそこからはみ出しているし、でも一方でまだマジョリティはそうじゃないから変革が追いついていないってことなんだろうね。

第二子出産後、ドイツで大学院に通い、神戸へ帰ってきた頃(クセニヤ)

ひらばる
いま皆さんのお話聞いてて思ったんですけど、私は最初から「〜べきという枠組から外れてたな」と(笑)最初に新卒で入った会社の社長が女性で、年齢も60歳を超えていた方でした。やっぱり時代を切り拓いてきた人で。社員は男女いましたが、女性だからできないとかさせないとか一切なく、役職についていたのも女性の方が多かったんですね。仕事を通じていろんな体験と挑戦をさせてもらったのが私の原体験でした。
そのあとフリーランスになって、福留さんが言ったように不利益を被ることもあるけど、私は何よりもほっとしました。「もうこれでみんなに合わせなくて良くなった」って。もともとみんなに合わせることが苦手だったんだなと気づいて、自分で自分のことを決められることにすごく安心した。そんなことを考えながら、置かれた場所によって世界の見え方が違うんだなと思いました。あとは小さくならば変えていけるものも世の中にはたくさんあると思うんですけど、そのささやかなところから切り崩していくのもひとつの方法かなと。

しおり
フェミニストのジュディス・バトラー()は、「ジェンダーはパフォーマンスである」という主張の中で、たとえ同じ演目を演じていても、演者によって表現が少しずつ変わる、それこそが社会が変わる原点だと言っています。ひらばるさんのお話を聞いていて、ちょっとした一人ひとりの感じ方の違いや違和感から社会に変革を起こしていけるのかなとも思いました。
*ジュディス・バトラー氏
アメリカの哲学者で、現代フェミニズム思想を代表するひとりとされている。

私たちの考えるしなやかな多様性のかたち

しおり
ところで、結婚する時に、基本的に女性が苗字を変える一方で、「外国人と結婚したときは変えなくて良い」というあの戸籍上のルール。夫婦別姓の是非は別として、どうしてそこにヒエラルキーが生まれるの? というのはずっと思っていて。戸籍についての違和感は、名前をもとの姓に戻そうと市役所に相談に行った時もありました。「名前を変えたい理由に、感情的な理由はダメだ」と言われて。でも名前を変えるのに感情的な理由以外ないでしょ?って(笑)

福留
「感情的」の定義も曖昧だよね。感情って別に一人歩きするわけじゃなくて、様々な背景や原因があっていまその感情に到達してるわけだから。すごく変だよね。

しおり
そう、その時、国家とか国籍とかが、いかに「感情的なもの」を排除して作られているか目の当たりにした。名前を変更するための理由として最終的にOKと言われたのが「私は研究者で、旧姓で仕事をしたり出版したりしているので、旧姓じゃないと仕事に差し支える」という、あくまでも「仕事」を全面にした理由だったということも。

オーストラリアでのリモートワーク(しおり)

クセニヤ
それこそ「A面・B面」()の話じゃない?
あと外国人が相手なら名前変えなくても良いというのも、昔の出島時代の名残を感じるよね(笑)ムラ社会では「外国人のことはわからないのでタッチしません」的な。
*(再掲)漫画家でエッセイストの田房永子さんが提唱する「社会のA面・B面」
女性は出産すると、それまで存在していた経済社会における「A面」から、全く違う世界観の「B面」の住人になるというジェンダー論。

福留
いや、めちゃくちゃ感じるよね。出島時代からの、終戦の経験によって日本人の精神に色濃く残る、外部のものを腫れものとして避ける風潮を感じるよね。だからしおりちゃんの経験と、クセニヤの戸籍問題も、問題の根幹では繋がってるよね。

ひらばる
見方によっては制度なんて、この随時変わっていく世の中では適当なものってことですよね(笑)組織の中に、時代に合わせて常に制度を見返し検証する人たちがいたらいいけど、ある時代のあるときに合意したものがいまも存在してそれが便宜上の指針になっている場合が多いという。そしてそのはざまにいる人が置き去りにされて苦しんでいて。
いろいろお話が出て、改めて皆さんに聞きたいのですが、これからまず何を変えていきたい、どこに働きかけたいなど、イメージはありますか?

多様であるための選択肢と当事者性

福留
ロールモデルについての議論にも通ずるんだけど、本当に困っている人にはロールモデルよりも、具体的な制度やサポートこそ必要なんじゃないかと思いながらも、ただ制度を変えるには「ニワトリ⇄タマゴ」で、多くの人たちの気づきも必要だったり。皆さんはどう思う?

クセニヤ
私は、制度を変えるためには意識を変えないといけないなと。そういう意味でいま教育の重要性も改めて感じているんだけど、教育の過程や子ども時代のどこかでそういう気づきがあれば、その視点で物事を見られるようになって、わかってくれる人が増えて、制度が動くのかなと。

しおり
やっぱりそう考えると、多様性は超大事。組織の中に多様な価値観を持った人がいれば制度は変わっていけると思う。例えば研究者の公式サイトって、大抵は仕事や実績の内容だけを記載するんだけど、私の指導教官は「子どもの教育をきっかけに、調査地を変えました」と書いていて。学生だった私はそれを読んで、パーソナルな要素がプロフェッショナルな研究に影響を与えて良いんだ!と学べた。だから私も同じように書くと思う。そういう形で、多様な人々が組織に存在して、多様な価値観をどんどん前面に出していければ、組織の意識や制度は変わっていけると思う。

クセニヤ
それを出していいんだと思えるかどうかってすごく難しいよね。それを作り出せている組織もなかなかないと思う。もしくは個人として強い人はいても、組織がそれを受容していけるかが課題。

福留
クセニヤのいうとおり、教育から変えるには壮大な、20〜30年スパンの計画になるし、いまのところ私たちは政治家ではないし。制度を変えるのは政治家の仕事だとすると、いま私たちができそうで、それぞれの特徴を生かせるのは意識を変えていくことなのかなぁ。そしてこの活動が色々な人に共感されて、広がっていくといいよね。

ここ数年の自然&公園滞在時間は人生ダントツNO.1(福留)

ひらばる
例えば、いま私が関わっている「ノウフク・プロジェクト」は、農業と福祉の連携で持続可能な共生社会を生み出す取り組みです。農福連携というもの自体は50年ぐらい前から日本の各地で進められてきたのですが、ここ数年で活性化しています。それは、この取り組みを農業と福祉だけに属さない、新しいソーシャルデザイン・プラットフォームの「ノウフク」としてブランド化した動きがあったからだと感じています。詳しくはこちらの記事もご覧いただければ(笑)
こういう取り組みや見せ方って、ジェンダー界隈でもあったりするんですか?

しおり
「ノウフク」の取り組みは、すごく示唆に富んでいますね。直近の事例で一番最初に思いつくのは、#MeTooムーブメント(です。ブランドとは違うのですが、1つの大きなキーワードとなって世界中に広がりました。ただ、その受け取られ方や、活動のあり方は、場所や地域によって異なっています。
*「#MeTooムーブメント」概要
セクシュアル・ハラスメントや暴力を受けた人が自らの体験を語ることで、さまざまな性犯罪を告発・撲滅しようとする社会運動。海外では主にSNS等を中心として、当事者性も含む大きな活動に発展した。

ひらばる
なるほどー。私がノウフクってすごいなと思うのは、多様な人が多様な課題を解決し合いながら生み出された農作物がおいしい、ストーリーや付加価値がある。だからみんなが巻き込まれたいと思える形になっているところなんです。
そう考えると、ジェンダーも、当事者だけががんばって声を上げているのがいまの主流だとすると、そうでない人たちも巻き込まれたくなるようなきっかけとか、ウェルカムな入り口のデザインがあるといいのかも?

福留
なんか楽しくやりたいですよね。そういうひとつひとつに軽快にツッコミを入れていくぐらいのね(笑)

クセニヤ
それを思うと、#MeTooが日本でブームメントにならなかったのはなんでなんだろう? 日本人の特性というか、重く捉えすぎちゃったのかな?

福留
これは仮説なんだけど、日本のTwitterの特性もあると思っていて。他国に比べて匿名性が高いし、日々「TLが怒りで溢れておる」状況で。でも海外はみんな顔出しや実名で投稿している人が多くて、Facebookよりカジュアルに発信できるSNSのイメージ。
だとすると、日本の匿名性が高いSNSの性質と、#MeTooブランドの相性が良くなかったのかなと思うんだよね。みんな日本ではTwitterアカウントによってキャラを使い分けていたりするじゃない?アニメとか趣味ごとにアカウントを持ってたりとか。
で、そういう独自のSNS文化の土台を持つ日本のTwitterに、#MeTooが目指す社会的なメッセージ性はそぐわなかったんだと思うんだよね。だからとはいえ、ほかに#MeTooがそぐうようなTwitter以外のフォーマットがいま日本にあるかというと、それもないとは思うんだけど。そういう意味では特殊な社会だし、ジェンダー以外も含めたソーシャルなトピックスがカジュアルにシェアされる場所がないのかもしれない

しおり
歴史的にみると、日本でもフェミニスト・ムーブメントはずっとあって。1930〜1940年代は環境問題と女性問題を連携させて、政府のワーキンググループにも入って活動していたり。今も環境問題に取り組む女性は多くいる一方で、活動のあり方は、女性問題と連帯させるというよりは、ローカライズかつ個人的なモチベーションを上げる方が多い気がします。

クセニヤ
冒頭で少し話してたんだけど、この前、仲の良い後輩と話していて、彼女は良かれと思って「クセニヤさんって全然子どもがいる感じが出てなくて良いですね」って褒められたの。半分はありがとうなんだけど、あとの半分はいろいろ考えてしまって。「子どもがいる空気感を出さないことをよしとする」文化というか。

子どもたちとの海の時間(クセニヤ)

福留
その一言、本当に重いよね。「空気感を出す・出さない」の問題だけではなく、まだまだ女性だけに出産・育児や仕事との両立の負荷がかかっていることを表している一言でもある。本当は子どもを産み育てることと仕事との両立って男女の問題でもあるはず。だからその一言に、いろいろな社会背景が凝縮されているなと感じる。その子にそういうことを言わせてしまっていることを、私は罪深い社会だなと感じてしまう。やっぱりそういうのを変えていきたいな。

ひらばる
多様性を推進する上で重要なのは、選択肢があることだと思います。子を産み育てることにも働くことにももっと柔軟な選択肢がほしいですね。あと、自分自身の当事者性や体験をもって社会の環境をデザインしていくこともできるんじゃないかなと。それはいままさにみなさんがやろうとしている、現状の課題を言葉に解き放ってみることや、アイデンティティを再構築していくことでもあるんだろうなと感じます。

福留
ひらばるさんの言うとおり、選べることはすごく重要で。よく女性が働くべきかどうかとか、産むべきかどうかという議論でどちらかだけとか極端になりがちなんだけど、でもいろいろな状態の人がいるなかで、どちらかだけということは常にないと思っていて。
大切なのは、その人がそうしたいと思った時にそうできる選択肢と環境があることが大切だなと。そういう意味でも何かを否定するわけではないし、ただ何かをしたいと思った人がいた時にいまそれをできない状況があるわけだから、それを明らかにしていきたいというか、当事者性を感じるようなきっかけになると良いですよね。

「多様性×◯◯」で捉えてみる

福留
そう考えると、上野千鶴子先生()みたいな方が、ここまで受け入れられてるのは、ひとつの希望でもあるのかな。もし日本で本当にその土壌がなかったとしたら、上野先生が東大で謝辞を述べられた時()に、こんなにトピックスになり得なかったんじゃないかなと。
それを希望に感じつつも、日本はただただ「フォーマット社会」だとも感じていて。「ノウフク」も、これまで半世紀以上活動が続けてこられたのに認知されてこなかったのはデザインやフォーマットがなかったからでもあるのかなと。

*上野千鶴子氏
東大名誉教授、社会学者でありフェミニスト。NPO法人WAN理事長としても活動。
2019年東大入学式祝辞にて、当時社会問題になっていた医学部不正入試問題に触れながら、東大の女性入学者比率が低いことや東大内部でもまだ性差別が根深いことに言及し、入学者に対して現在の自らがあるのは環境もおかげでもあることと、自らの能力を自分のためだけではなく平等の機会が与えられない人たちのために使うよう呼びかけ、大きな賛否両論を呼んだ。

ひらばる
「ノウフク」のブランディングに携わっている國松さんが、「ノウフクはマーケティングだ」と言っていて。純粋に生産物を売るための取り組みでもあるから、すごく広がりやすかった面もあると思っていて。だから、ジェンダーもいろいろな掛け合わせで伝えてみると、新しい道が開けてくるかもしれないですね。アートとか、ソーシャルとか、物語とか。

クセニヤ
そこで思うのが、今回のテーマもジェンダーではなく「多様性と越境」としているのは、「多様性や越境」ってすごくポジティブなイメージだし、求められていることでもあって。多様性を追求する上での掛け合わせる要素のひとつとしてジェンダー、という立ち位置なのかな。

福留
確かにそうだよね。いまここにいる4人は意図せず全員女性だけど、今後の発信はぜひ男性にも読んでほしいし、マゼコゼが素晴らしいなと思うのは、老若男女の読者の方々がいるところだとも思っていて。
そういう意味でも「Personal is Political、個人的な課題は社会課題だ」)という名言があるんですけど、例えば戸籍問題やジェンダーなど様々な社会課題について自分が当事者じゃなかったとしても、色々な人にカジュアルに気付いてもらえる機会があれば社会は少しずつ変わってくるんだと思う。
あとはひらばるさんの言うとおり、アプローチの仕方をこれまでと変えてみるのはとても面白いんじゃないかなと。ターゲットにどういうメッセージを伝えていくのかってとてもマーケティング的だし、いま日本にはそういう場所やプラットフォームがない気がして。あといまソーシャルトピックスが語られる場って、二極化しているように思います。どちらも大事だし否定はしないけど、ハチマキ巻いて「社会変えるぞー!」という前のめりな感じか、「いや、そういうのちょっと重いんで」と引いてしまっているか。でも私たちはその間ぐらいの感じで、誰を否定するわけでもないけれど、確実に存在している課題について軽快にノリツッコミしていくぐらいの感じで(笑)
*「Personal is political」(個人的なことは政治的なこと)
1960年代以降のアメリカにおける学生運動やフェミニズム運動でスローガンとなった言葉。あらゆる社会問題において軽視されがちな、個人的な状況や感情を改めて社会運動に積極的に関与させることで社会を変えていく一助にしようというムーブメントでもある。

ひらばる
今回の企画は、記事を通じて、プロセスを途中公開したりしてもいいのではと思うんですけど、その辺りのイメージはいかがですか?

しおり
プロセスを途中公開していくのは面白いですね。

福留
前回、3人で話していたのは、しおりちゃんは大学で研究しているし、クセニヤは外資系企業で働いていて。私は各地の自治体とのつながりや学校で教えていたりという感じなんですけど、将来的にはひとつプロジェクトの旗を掲げるようなことになれば良いかなと。それにどんどん賛同してくれる人や組織、自治体などが増えていってくれれば良いのかな。

クセニヤ
やっていく中で補正していければ良いよね。あらゆる場面で展開していけるといいのかも。

ひらばる
人を巻き込むのが得意な人たちをお呼びして、そうした仕組みの作り方を学びながらプロジェクトを進めていくのもいいかも。

福留
「多様性×◯◯」の、◯◯の部分を毎度試行錯誤しながら、関係がある人を招いてこのプロジェクトを実験的に進めてもよさそう。まずは「多様性×マーケティング」という大枠のプロジェクトで実験的に進めても良さそう。今後の展開として、マゼコゼでは引き続きその辺りを模索しプロセスをシェアしながら、しおりちゃんが所属する大学で実施するイベントにてトークイベントを行ったり、協働いただける企業団体そしてもちろん個人の方々と一緒に、模索して行けると良いね。

クセニヤしおり
ぜひやりましょう!

研究員プロフィール:福留 千晴

「地域と食のしごと」NORTHERN LIGHTS代表/mazecoze研究所企画・編集・広報・新規事業開発
鹿児島県出身、実家は大隅半島で芋焼酎の芋を育てる農家。カナダ・モントリオールでの映画学専攻や10カ国以上へのバックパッカー経験、広告会社勤務を経て、現在は中小企業や自治体においてソーシャル&ローカルデザインのプランニングからプロデュース、クリエイティブ、PRまで一貫して行う。2017年、経産省「BrandLand Japan」にて全国12商材の海外展開プロデューサーに就任。焼酎唎酒師、日本デザイナー学院ソーシャルデザイン科講師。
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