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40代、日々此れ惑う
昔の人はなぜ40歳のことを「不惑」と表現したのだろう。現代人よりも人生が短かったから、40代は今よりももっと心がおとなだったのだろうか?
2019年2月で45歳になろうとしているわたしですが、実は40代に入ってからはずっと暗い井戸のなかをのぞいているかのような、気圧の変化などで起きる耳の奥がつまったようなあの感じがずっと続いているかのような気持ちで、日々を送ってきました。40代に入ってからというもの、ずっと惑っている感があります。
そんなことを言うと「えっ、日々めっちゃ楽しそうなのに」などと言われてしまいそうですが、日々はまぁ楽しく生きているには違いないのですが、見た目ではわからない耳の奥がつまったような違和感が実はずっとありながら過ごしているのでした。
わかる! わかる! そう言ってくれる40代の方、けっこう多いんじゃないでしょうか?
20代は早く何者かになりたくて、でも何者でもなくて、何をすれば何者かになれるのかと、いわゆる自分探しをしていた期間のような気がします。30代は30代に入った途端に20代にあった焦りみたいなものが憑きものが取れたようになくなり、肩が軽くなって好き勝手に羽ばたきました。仕事が面白くてたまらない時期に入り、もう生きることに夢中でした。そして40代に入ったら、どういう顔をして、どう生きたらいいのかさっぱりわからなくなってしまった。それは東京から八ヶ岳に引っ越しても、何ら変わることはありませんでした。
40代って人生の折返し地点。自分の人生の店じまいを考えはじめるころなのだと思うのです。親の介護についてもそろそろ考え始めなきゃ。だけど、まだこどもは小さかったりして、教育のことも考えなくちゃいけない。しかも、社会や職場においては影響力のある立場につきやすい年代だったりもする。30代の頃よりもなんだかいろいろ重い。だけど、この40代をどう生きるかで、この先が違うような気がなんとなくする。じゃあ、どう生きればいいのだろうか。どよ~ん! みたいな(苦笑)。
同級生たちとのやさしく不思議な夜
そんな惑いまくりの日々を過ごしているなか、11月も終わりころ、「1974年&1975年生まれの会」の飲み会に誘っていただき、あまりにも久しぶりの飲み会に「明日は人間として使いものにならなくなるくらい今夜は飲むからね宣言」をして(笑)、こどもたちを夫に任せて出かけました。
わたしたちの年代は団塊世代ジュニアなので、どの地域にも多い年齢ではあるのですが、この晩に集まったメンバーは、北杜市という移住者も多いエリアだからこそのバラエティに富んでいました。
北杜市で生まれ育った人、北杜市に嫁いできた人、北杜市にUターンした人、北杜市に移住してきた人。単身、子育て中、シングルマザー(ファーザー)。公務員、会社勤務、自営業、二代目。いろんな立場のいろんな人たちなのだけど、皆、同じくらいの年に生まれ、同じ時代を生きていた、ということだけが共通の20名ほど。半分以上が初対面の方々でした。
わたしはこの同時代を生きていたことをみんなで味わいたくて、自己紹介で「10代はJUN SKY WALKER(S)(ジュン・スカイ・ウォーカーズ)というバンドの追っかけで、人生のほとんどを学びました」と告白しました。通称「ジュンスカ」はわたしたちが中高生の頃にあった「バンドブーム」の代表的存在。わたしたちの青春期を表す共通言語のひとつとも言えるのでした。「ジュンスカ!! めちゃなつかしー!」、そんな声が爆発して、みんなの顔がきらめきました。
実際、わたしの10代はジュンスカ一色でした。実家のあった名古屋から朝イチの鈍行電車に「青春18きっぷ」を使って乗ったり、深夜長距離バスを駆使したりしながら、北は青森、南は鹿児島まで、沖縄と北海道をのぞく本土のほとんどをジュンスカのツアーでわたしは訪れました。
クリスマスの時期は中国地方でのライブツアーが定番で、わたしは嵯峨野線や因美線などの大好きなローカル線を使いながら、ジュンスカのルーツでもあるクラッシュやザ・フー、ビートルズなどの曲をオリジナル編集したカセットテープをウォークマンで聞き、時々うつらうつらしながら車窓の旅を楽しみました。
授業中、よく教科書の下に漫画を隠して読む子がいますが、わたしは時刻表を隠して、ノートの端に名古屋から青春18きっぷで、どのライブ会場まで行けるかと乗り換え案内を書いて机上で旅をする「時刻表鉄」でした。
そんな青春時代の思い出はいつしかちょっと恥ずかしい過去になり、人に話すこともなくなりました。ですが、この飲み会ではそんな思い出もさらけ出したい気分になったのです。
なんと、わたしが記憶しているのはこの自己紹介タイムくらい。あとは正体不明になり、まったく記憶がありません。翌日は一日中布団のなかで過ごして、宣言どおり人間として使いものになりませんでした(笑)。
だけど、なんていうか感触として、みんな、いろいろな立場で、いろいろなものを背負いながら、がんばっているんだなぁという同志に似た気持ちになったことは忘れませんでした。
誰もが「かっこいい俺様話」でマウンティングすることもなく、気負わず、自分の気持ちを素直に吐露して、皆それぞれがやさしく受け止めていた気がするのです(覚えてないけど)。それは同期だからこそなのでしょうか。とっても心が自由になれたような気がする、不思議な夜だったのです(覚えてないけど)。
新しい過去となつかしい未来
その夜からそう日を立たずして、またわたしは青春期を思い起こす経験をします。
東京で暮らし、子育てをしていたころはすでに自営業だったので、電車での通勤時間もないため、音楽を聴く習慣がめっきり薄れていました。
ところが、ここ八ヶ岳は自動車での移動がほとんど。ひとりで車の中で音楽を聴くという習慣が復活していました。といっても、わたしが聴くのは90年代中盤くらいまでのロックが中心。この時期から仕事に夢中になり、クラブなどに踊りに行くこともなくなり、新しい音楽を探して聴くという習慣や熱みたいなものも薄れていき、わたしの音楽の歴史はそのあたりでストップしているからなのでした。
そんななか、最近はこどもたちが小学校や保育園で覚えてきた曲をYOUTUBEでこどもが流すこともしばしば。大ヒットしたアニメーション映画「君の名は」の主題歌や挿入歌が収録されたYOUTUBEもよくこどもが流すもののひとつで、こどもたちと♪君の前前前世から僕は~♪と一緒によく歌っていました。
それが、なんだかスイッチが入ったように自分から「君の名は」のYOUTUBEを選んで流すようになり、聞いているうちに胸の奥がギュッとする感じがするようになりました。この音楽を担当しているバンド、RADWIMPS(ラッドウィンプス)の他の曲を探してYOUTUBEなどで聴くようになり、この人たちはいつからバンドをしているのかとググって調べました。そして「君の名は」のサウンドトラックを買って四六時中聴くようになります。さらに、12月に新しいアルバムが出るとわかると予約までして購入。まさにそれは、恋そのものでした。
こんな熱量で音楽を聴くことは、ジュンスカ以来かもしれません。少年と青年のあいだのようなボーカルの野田洋次郎さんの声や切ない歌詞は、中高生の男女がイヤホンを片一方ずつして寄り添って、ラブい感じで聴くのが似合う、ティーンたちの音楽のような気もします。だけど、彼らの音楽のなかにはバンドブーム時代のミュージシャンたちのエッセンスやそのまたルーツのミュージシャンのたちの音楽も感じられて、音楽って新しい過去となつかしい未来が混ざり合っているんだな、なんて哲学していたら、何かがほどけはじめました。
かつて早く何者かになりたくて、焦りながらあれだけ自分を探していたのに、いつしか「らしさ」や「キャラ」といったものにとらわれて、自分らしくないこと、自分のキャラっぽくないことには手を出さないようになっている。それがおとなになること? 求めていた自分? いや違うはず。
年を重ねるということは、過去が増えていくことでもあるわけで、たんぽぽの綿毛が風に乗っていく様子を好奇心の塊のような目で見ていた幼い時代にも、青春18きっぷを駆使して電車に揺られながらキュンとしていたころにも、男の子とイヤホンをシェアしてやけにくっついて音楽を聞いていた年頃(なんて、わたしにはなかったけど)にも、いつだって飛んでいける心の自由があるということなんじゃないかな、と。
三男を助手席のチャイルドシートに乗せ、「君の名は」のサウンドトラックをかけながら車を走らせているときでした。RADWIMPSの『前前前世』の間奏部分で、音楽に合わせて三男が♪オーオオ、オーオオ♪と歌いはじめたので、一緒になって♪オーオオ♪と声を合わせました。三男の声とわたしの声が同じキーで共鳴しながら、わたしの耳の奥のつまりがふと抜けていくのを、暗闇から出てくる眩しさを感じました。
40代だからこそのリアリティバイツもある。だけど、人生は音楽のように、今だけでできているものではない。もっと自由に過去にも未来にも飛んでいけばいい、わたしたちはもっともっと正体不明になればいいのだ! 同期たちとのやさしい夜と、新しい音楽との出会いが、ひとつに結びつきました。
この原稿を書くにあたって、「不惑」という言葉をググってみました。すると、孔子の論語の中には「40歳は不惑。迷わずに自由に物事を見る」とありますが、「惑」ではなく、正しくは「或」ではないかという説があるそうです。「或」とは区切るや限定するといった意味があり、本当に孔子が言いたかったことは「四十歳で自分自身に区切りをつけず、さらに新しく学び行動するべきだ」ではないかというのです。
枠にとらわれず、自由な発想で新しく学び行動しなさい。ふむ。40歳を表す言葉として実に適切な気がするではないか。
同期のみんな、俺ら、もっと自由にはっちゃけていいんだってよ! 大先輩の孔子さんが言うんだから間違いないって(知らんけど)。
そうだ! 前回のコラムで、金融機関さんがお金を貸してくれそうだったら、古民家一棟貸しの宿を始めるという計画について書きましたが、どうやら金融機関さんがしっかり借金をさせてくれるってことでして(笑)、古民家一棟貸しの宿は初夏あたりのオープンを目指して動きはじめています。さらに、ギャラリーショップもはじめることにしました。 どれも経験のないことなので、わくわく半分、面倒くささ半分ですが、音楽のように過去や未来を行ったり来たりしながら、どれだけ失敗を面白がれるかチャレンジしていきたいと思います。
2019年、みなさんに「覚えてないけど」と言われないペースでコラムを書けるよう精進いたしますゆえ、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
石田 恵海(いしだ えみ)
1974年生まれ。ビオフレンチレストランオーナー&編集ライター
「雇われない生き方」などを主なテーマに取材・執筆を続けてきたが、シェフを生業とする人と結婚したおかげで、2011年に東京・三軒茶屋で「Restaurant愛と胃袋」を開業。子連れでも楽しめる珍しいフレンチレストランだと多くの方に愛されるも、家族での働き方・生き方を見直して、2015年9月に閉店し、山梨県北杜市へ移住。2017年4月に八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」を開業した。7歳と6歳と1歳の3男児のかあちゃんとしても奮闘中!
Restaurant 愛と胃袋
第1回:ハロー!新天地
第2回:熊肉をかみしめながら考えたこと
第3回:エネルギーぐるり
第4回:「もっともっとしたい!」を耕す
第5回:「逃げる」を受容するということ
第6回:生産者巡礼と涅槃(ねはん)修行
第7回:「ファミ農」、はじめました。
第8回:東京から遠い山梨、山梨から近い東京
第9回:土と水と植物と身体と
第10回:自立と成長のこどもたちの夏
第11回:自分らしくあれる大地
第12回(前編):今年は引越・入学・転園・開業・出産!
第12回(後編):今年は引越・入学・転園・開業・出産!
第13回: 素晴らしき八ヶ岳店スタート&出産カウントダウン!
第14回:出産から分断を包み込む
第15回:味噌で、映画で、交わる古民家
第16回:夫、妄想殺人事件!
第17回:不惑の育て方
つくるめぐみ代表
得意なテーマは自ら実践する「田舎暮らし」「女性の起業」「自由教育」。八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」女将であり、「自分らしい生き方」などをテーマとした編集・ライターでもあり、三兄弟の母でもあり、こどもたちをオルタナティブスクールに通わせている。「誰もが、オシャレしてメシ食って恋して仕事して、最期まで自分を生きられる、自立した社会づくりに貢献すること」を理念に活動。2020年より古民家一棟貸しの宿、棚田を愛でながらコーヒーを楽しむカフェ・ギャラリーも開業する。
→ Terroir 愛と胃袋