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計画を白紙にして、ゼロから土地探しをスタート!
小淵沢から清里へと抜ける八ヶ岳高原ライン、雪がまだしっかりと残ったそのうねうね道を、夫の運転する車でゆっくり走りながら、私たちの2016年1月は「慣らし保育」ならぬ「慣らし山梨」だったなと振り返っていました。いや、こどもたちにとっては「絶賛!慣らし保育キャンペーン」でもあったのだけど。
車が向った先は、八ヶ岳を代表するうわさの料理店「仙人小屋」。さまざまな獣肉や川魚、山菜、キノコなど、店主自ら採ってきた自然の恵みを楽しめるお店で、山中というロケーションと、なかなか食べられないジビエの定食とあって、オンシーズンは入店を1時間以上待つこともあるそう。
先日、このお店を時々手伝っているという愉快なおじさんと知り合ったので、その方に会いたさ半分、熊肉食べたさ半分で、私たちはオフシーズンの仙人小屋に向かったのでした。
実は、昨年からご縁あって紹介していただいた土地での開業を進めていたのですが、実際に山梨に引っ越してきてその土地を見てみると、そこでオーベルジュを開くことに違和感があり、金融機関のアドバイスもあって、結局、話を白紙に戻し、ゼロから土地探しをはじめることになりました。
すでに設計会社さんにもデザインを進めていただいていたので、関係者の皆さんには本当に申し訳なさでいっぱいなのですが、一方で、この選択に私たちは清々しさを感じていたりもして、物件探しを新たな気持ちではじめています。
そういった大きな決断をした背景には、山梨での日々の暮らしのなかで受けた、ちいさなカルチャーショックの積み重ねがジャブのように効いてきた、というのが少なからずあるのです。
「生きる」の定義の違いに薄々気がつく
たとえば、その1
こどもたちが通うことになった北杜市立の保育園は、お迎えの時間の基本が16時30分、延長しても18時30分。東京ではお迎え時間は18時15分が通常、延長保育は20時15分まで。東京で暮らしていた時、私たちは18時15分ギリギリに走ってお迎えに行き、延長保育もスポットで月4・5回利用していました。
まだ山梨に来たばかりで、そう仕事はしていない状況とはいえ、これまでより2時間も前に仕事を切り上げてこどもをお迎えに行くと何が変わるかというと、当然ですが、夜、家族で過ごす時間が長くなります。しかも、その家族で過ごす時間がなーんか充実しているのです。いやがおうでも、これまでの仕事と子育て、これからの仕事と子育てを考えさせられるのです。
たとえば、その2
はじめての雪かきを経験した日、その日、夫は知人から紹介された工務店さんとお会いする約束をしていました。しかし、甲府に住むその方から前日に「明日は雪のようなので、リスケしましょう」と連絡があり、夫と「えっ!? リスケするほどのこと?」と驚いていたら、翌朝は一晩で40センチ近い積雪。主要道路まで雪かきをしないと、雪かきをするスコップすら買いに行けない、という笑えないジョークのような状況になりました(お隣さんにスコップを借りました)。しかも、我が家よりも奥にあるお家の方は、ご自宅から我が家までの100メートルほどの道を雪かきしないと車が出せないので、仕事にも行けない。家族で雪かきをお手伝いしていた際にそう聞いて、工務店の方のリスケされた判断力を超尊敬してしまいました。
ほかの方と話していても、山梨に住んでいる方は皆さん、自然の脅威に対する覚悟や一種のあきらめが暮らしの前提にあるんですよね。雪の日に駅に通勤客があふれかえっている東京の状況をテレビのニュース番組で見ると「なんで前日から明日は雪だとわかっているのに、いつもと同じように会社に行くの?」と思うのだそうです。
たとえば、その3
また、八ヶ岳周辺は雪深いエリアですが、美味しいお店も多いので、夫と勉強に行こうと知人から紹介されたお店にランチで行ってみると「冬季休業中」の張り紙が……。周辺の張り紙を見てみると、長いところでは2カ月も休みを取っているお店もあったりします。
学習能力の低い私たちは「行ってみたら休みだったガッカリパターン」を何度も経験して(笑)、年間10カ月の営業で、1年分の売上を稼ぐ観光地ならではの経営スタイルに、東京で培ってきた飲食店経営頭をハンマーで殴られた気持ちになるのでした。
たとえば、たとえば……。放っておくと延々と「たとえば」が出てきそうな気がしちゃうので、列記するのはこれくらいにしますが、一言で表現するならば「生きる」の定義が東京と山梨ではどうやら違うなと、私たちは様々な人と会うなかで、薄々気づきはじめました。それがお店づくりに対する気持ちにも影響をもたらせたような気がするのです。
持ち味にじみ出る滋味あふれる選択
「鹿&熊焼き肉定食」と「山菜天ぷら盛り合わせ定食」がくるのを待ちながら、石油ストーブの上に並んだ数々のお茶の入ったやかんの中から「カラマツ茶」を選んでセルフで注ぎつつ(夫は「センブリ茶」という罰ゲームのようなお茶を飲んでのけぞりつつ)、こんな話をしました。
「雪が降ったら仕事行けないどころか、家から出られないくらいの時もあるわけじゃない。そうすると、雪かきスコップは家の中に置いておかないとまずいとか、ある程度の備蓄をしていないとまずいとかさ、日常的にデフォルトとして考えなきゃいけないことが生命に直結している。危機回避能力という動物本来の生きるための感覚を当たり前に使っているんだよね。でも東京にいると、そういう感覚を使うシーンが日常にないから、どうしても動物的感覚は鈍るというのはあるよね」
「こっちは雪かきとか、保育園や自治の奉仕活動とか、やることがいろいろあるけれど、東京は仕事だけやろうと思ったら、ホントに仕事だけできちゃう環境がある。それってすごいことなんだなってあらためて思ったな。山梨に来て、保育園の16時半終わりには最初びっくりしたけど、あまりにも違いすぎると、それならそれで、これまでとは違う仕事の仕方や時間の使い方をすればいいか、まあいっかーって思っちゃうよね」
愉快なおじさん(この日はいなかった)が言っていたとおり、山菜の天ぷらは一人前なのにものすごいてんこ盛りでフレッシュ! はじめて口にした熊肉は聞いていたとおり脂が多く、思ったよりも甘味があって、私はロースが気に入りました。お肉は鉄板で自分で焼くスタイルで、我が家では焼肉はシェフの人が焼き奉行。その夫が焼いてくれた熊肉はもちろん、熊肉の脂がしみた野菜がまたおいしくて、熊肉で野菜を包んで頬ばり、ガシガシとかみしめると、内側からもりもりと元気がみなぎってくるのでした。
「滋味深い味」というのはこういうのを言うのだろうなと思いながら、これから山梨という滋味をゆっくりていねいに味わおう。そして、自分たちの持ち味がにじみ出るような、そんな滋味あふれる選択を私自身もしていこう。熊肉をかみしめながら、そんなことを思った昼ジビエタイムでした。
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石田 恵海(いしだ えみ)
1974年生まれ。ビオフレンチレストランオーナー&編集ライター
「雇われない生き方」などを主なテーマに取材・執筆を続けてきたが、シェフを生業とする人と結婚したおかげで、2011年に東京・三軒茶屋で「Restaurant愛と胃袋」を開業。子連れでも楽しめる珍しいフレンチレストランだと多くの方に愛されるも、家族での働き方・生き方を見直して、2015年9月に閉店し、山梨県北杜市へ移住。2017年4月に八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」を開業した。7歳と6歳と1歳の3男児のかあちゃんとしても奮闘中!
Restaurant 愛と胃袋
第1回:ハロー!新天地
第2回:熊肉をかみしめながら考えたこと
第3回:エネルギーぐるり
第4回:「もっともっとしたい!」を耕す
第5回:「逃げる」を受容するということ
第6回:生産者巡礼と涅槃(ねはん)修行
第7回:「ファミ農」、はじめました。
第8回:東京から遠い山梨、山梨から近い東京
第9回:土と水と植物と身体と
第10回:自立と成長のこどもたちの夏
第11回:自分らしくあれる大地
第12回(前編):今年は引越・入学・転園・開業・出産!
第12回(後編):今年は引越・入学・転園・開業・出産!
第13回: 素晴らしき八ヶ岳店スタート&出産カウントダウン!
第14回:出産から分断を包み込む
第15回:味噌で、映画で、交わる古民家
第16回:夫、妄想殺人事件!
つくるめぐみ代表
得意なテーマは自ら実践する「田舎暮らし」「女性の起業」「自由教育」。八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」女将であり、「自分らしい生き方」などをテーマとした編集・ライターでもあり、三兄弟の母でもあり、こどもたちをオルタナティブスクールに通わせている。「誰もが、オシャレしてメシ食って恋して仕事して、最期まで自分を生きられる、自立した社会づくりに貢献すること」を理念に活動。2020年より古民家一棟貸しの宿、棚田を愛でながらコーヒーを楽しむカフェ・ギャラリーも開業する。
→ Terroir 愛と胃袋