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石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」石田恵海とひらばるれなの「ぺちゃくちゃ交換日記」

わたしたちの黄色い橋

石田 恵海 │ 2023.06.19

八ヶ岳に水があふれ、緑が青々とするわたしの大好きな季節がやってきたよ。時々の晴れ間もうれしいけれど、雨がしとしとと続くのもまた、気持ちもしっとりとしていいもの。キャンプ好きのばるさん一家はまだかまだかと梅雨明け待ちだろうか?

今日は5歳の三男と話した死についての話を書こうと思う。
保育園へお迎えに行ってスーパーなどに寄り道する途中に黄色い大きな橋がある。この橋の付近になると三男は時折、死について言葉にするんだよね。というのも、わたしも彼も大大大好きでお世話になった人(仮にAさんとする)が2年前、ここから身投げをしたことが背景にある。
「ママ、天国に行ったことある?」。車の後部座席で息子が聞いてきた。前方にはもうすぐ黄色い橋。
「天国のこと知っていたら、ママはここにいないんじゃないかな」と言ったら、「そりゃ、そうだね」と笑った。
「Aさん、ここから落ちちゃったんだよね?」
「そうだね」
「なんでわんちゃんも死んじゃったんだろう?」
Aさんの愛犬はAさんが亡くなったすぐ後、その後を追うように亡くなっている。
「Aさんが亡くなって、わんちゃんもすっごくすっごく寂しかったんじゃないかな。ママもだけど」
「おれも」
彼とのこのやり取りは何度となくしていて、これくらいのやりとりでいつもは終わる。だけど、この日は静かに落ちる雨、立ちこもる霧のしっとりとした情景がセンチメンタルな気持ちにさせたのかもしれない。三男はさらに続けた。
「死んだらどうなるの?」
「天国行くんじゃない」
「気持ちじゃなくて!」
「ああ、体のほう?」
「そう!」
ほほーっと思った。5歳児が肉体と魂はまた違うという認識を持っていることに。

日本では火葬といって、遺体を火で燃やすと説明するにはまだ早いかなーと思いつつも、えいやっ!とそう説明すると「えっ! 燃やすの?」とやっぱり驚かれたけれど「土に埋めないの?」と言うので、「火で焼いた後、骨が残るから、それを壺に入れて埋めるっていうか、納める感じかな。まだ土に埋めるところもあるけど」というと「ママは死なないのがいい?」と聞く。
「うーん、ママは今はまだ死にたくないけど。むっくんやにいちゃんやパパとまだ一緒にいたいから。でも、生きるってことは死ぬとこまでセットだから、生きたら必ず死ぬんだよね。(不慮の事故などでふいに亡くなるケースもあるけれど、そういう例は置いておいて)ママは歳を取って死んだら、山に捨てられたいよ」
「鹿さんみたいに?」
「そう! そう!」
「ママっぽいね」と笑った。そうか、ママっぽいのかー。
三男が通う保育園は森に隣接していて、普段の遊び場は基本、森。そこであたりまえのように生と死に出会う日常を送っている。生きた鹿にも出会うし、横たわる死体にも出会う。彼が森で見つけた鹿の頭部の骨と背骨は、我が家のコンポストのうえに鎮座している。
そういう毎日を送っているからだろうか。彼はAさんの死の話をするとき、生と死をとてもニュートラルにとらえているようにいつも感じる。
突然、三男が大きな声で前に乗り出しながら言った。
「おれ、わかった!! Aさんは、死にたいっていう気持ちを我慢できなかったんだよ」
「我慢できなかったのかー」
「うん、我慢できなかったんだよ」
「……死にたいっていう気持ちを我慢できないって、つらいな」
「ママ、大好き!」
「ママもむっくん、大好き!」
答えも正解も不正解もいつもないけれど、わたしたちは黄色い橋を見上げながら、渡りながら、Aさんを想い、生と死をときどき語る。

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研究員プロフィール:石田 恵海

つくるめぐみ代表
得意なテーマは自ら実践する「田舎暮らし」「女性の起業」「自由教育」。八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」女将であり、「自分らしい生き方」などをテーマとした編集・ライターでもあり、三兄弟の母でもあり、こどもたちをオルタナティブスクールに通わせている。「誰もが、オシャレしてメシ食って恋して仕事して、最期まで自分を生きられる、自立した社会づくりに貢献すること」を理念に活動。2020年より古民家一棟貸しの宿、棚田を愛でながらコーヒーを楽しむカフェ・ギャラリーも開業する。
Terroir 愛と胃袋

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