たがやすの馬場みなみです!
みなさん、初めまして。
NPO法人たがやす代表理事の馬場みなみといいます。
たがやすは、“誰もが愉しみ続けられる世界をつくり、共にたがやす ”というコンセプトのもと、鹿児島県肝属郡錦江町を拠点にして様々な活動をしています。
今回からここmazecoze研究所で、たがやすメンバーそれぞれが語るコラムや活動の紹介など、お伝えしていく「たがやすチャンネル」がスタートすることになりました。
mazecoze研究所さんとの出会いは、私が活動している鹿児島県錦江町のワーケーションの取り組みを、ご縁あって平原さんと福留さんに取材していただいた時でした。
>>記事:鹿児島県錦江町“未来づくり課”が取り組むワーケーションを通じたまちの未来づくり
そしてなんとその後、平原編集長にはたがやすのアドバイザーとして、研究員の福留さんには理事として関わっていただいております。(その理由などものちのちお伝えできるかと思います)
こうしてたがやすコラムとしてmazecoze研究所さんで発信させていただけること、大変光栄に思う一方で恐縮しております。研究員の皆さんのような、ユーモアを含めながらもハッと気づきのある記事にはできませんが、お付き合いいただければ幸いです。
幸せな暮らしを求めて
たがやすは人が中心となって結成されました。なので今回は、たがやすの活動内容をお伝えする前に、私自身のことをお伝えできればと思います。
私は兵庫県出身なのですが、大学卒業後にほぼ本土最南端である鹿児島県の錦江町にやってきて、地域おこし協力隊として3年間活動しました。
卒業したと同時に、地域の人たちと一緒にNPO法人たがやすを立ち上げました。現在、たがやすを設立して早1年。民営図書館の運営や農福連携、認知症フレンドリー事業などを主に行っています。
そもそもなぜ兵庫の都会の町から田舎に移住したのかというと、ご縁とタイミングが重なって、理想的な暮らしができると思ったからでした。
もともと大学卒業後の暮らしとして、仕事でお金を稼いで、休みに消費して……という働き方よりも、消費する感覚を無くして、生きるように働く暮らしがしたいと思っていました。
なので錦江町に移住してすぐ、狩猟や家庭菜園などを始めました。そして買い物をするなら知り合いの農家さんがつくったものを食べてという風に、食いっぱぐれない生き方を身につけて、資本主義に振り回されたくないと思っていました。今振り返ると自分だけのことしか考えていなくて恥ずかしいですね……。
狩猟も野菜を育てることも、感動したり、素晴らしいなと思いながら楽しんでいたのですが、続けるうちにだんだん「やらなければならない」に変わっていってしまい、1人で続けられなくなってしまいました。
変化する幸せな暮らし
狩猟して、野菜を収穫してという「丁寧な暮らし」をしている人に憧れがあり、自分もそんな人になりたかった部分が正直あったのだと思います。でもやってみたら心と身体がだんだん一致しなくなって、自分にとっての幸せな暮らしは別にあるのだと気づきました。「やってみないとわからない」って本当だなあと実感し、また自分が楽しいと思うことを探していました。
そんな時に、SDGs未来都市に選ばれていたニセコ町と下川町に、錦江町の皆さんと一緒に研修に参加できる機会があったのです。
そこで学んだことは、小さくやってみることの大切さと、人との関係性が何事でも大切だということ。
アクションの大切さは重々わかっているけれど、私も含めて挑戦することに抵抗のある人がこの町には多いかもしれないと思いました。
挑戦を応援する場をつくってみたい。
そう思って、「SDGsを語る会」という場づくりを一緒に研修に参加した町民さんと始めました。月に1回、多い時は15人、少ない時は5人くらいで、悩み事や課題を共有したり、ビーチクリーンをしてみたり。自分達ができることを考えて、みんなの知恵を借りたらできることがたくさんあると実感してほしい。正解がわからなくても、問いつづけることを楽しめる関係性をつくっていきたいという想いで活動していました。
たがやす始動
そんなときに「みなみちゃん代表で、一緒に法人を立ち上げない?」って誘ってくれたのが天野雄一郎さんでした。たがやす発起人理事の天野さんは、次回のコラム担当になるかもです(笑)
法人を立ち上げるなんて考えたことがなかったし、まして代表なんてと最初は思っていました。でも、不思議とワクワクしている自分がいて、その場で「いいんじゃないですかね。。」と答えていた気がします。
当時、法人を立ち上げて何かをしたいという明確なものはありませんでした。でも「SDGsを語る会」と同じで、「やってみたけど失敗しちゃった」と戻ってきて、そのやってみた一歩を祝福できるような、そんな関係性や雰囲気をもっとしっかりつくってみたいという気持ちでした。
代表らしくない私の役割として、「こんな人でも起業できるんだ」と、誰かが挑戦するハードルを下げられたらいいな、というものもありました。
地域おこし協力隊卒業後の進路も決められていなかったし、やりたいことがあまりない中でワクワクできることに出会えたことが嬉しくて、そんな中でたがやすが始動したのでした。
たがやすがどんなふうに人との関係性を作りながら生まれていったのかは、こんど平原さんが取材してくれるみたいです(笑)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
たがやすメンバーそれぞれが語るコラム。次回も楽しみにしていただけたら嬉しいです。
>NPO法人たがやす