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宇樹とITとの関わり & ITの課題をどう超えていくか?【前編】

宇樹 義子 │ 2020.04.02

発達障害当事者ライター宇樹義子×mazecoze研究所 「ほしいもの創出プロジェクト」

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テーマオーナー(話題提供者)に任命された宇樹義子です!

こんにちは、発達障害ライター、mazecoze研究所研究員の宇樹義子です。 生活のすみずみまでをITに助けられつづけ、IT活用にハマッているわたくし宇樹、このたびmaze研代表のひらばるさんと「『宇樹がITの分野でほしい何か』を実際に作っちゃうプロジェクトをやろう!」ということになりました。 プロジェクトの最初の動きとして、私とITとの関わり方や、私がITを活用するにあたって感じている課題や問いについて語ってみたいと思います。

ITは私にとって救い!

私は、生きる上でのたくさんの難題をITに助けられて解決・軽減してきました。 大げさかもしれませんが、私にとってITは「救いそのもの」です。私の現在の幸せな生活と仕事はITのおかげで成り立っています。そもそも、いまこうして生きていること自体がITのおかげかもしれません。

いま私が生きているのはITのおかげ

「いま私が生きているのはITのおかげ」、これは事実です。私は、ITがなかったら今ごろ死んでいたか、社会的に死んでいたでしょう。 私には発達障害(高機能自閉症といい、現在の分類でいうASD、自閉スペクトラム障害)があります。しかし、私の小さなころには発達障害の概念は普及していなかったため、私の障害には誰も気づくことがありませんでした。障害を知らずに無理を重ねた結果、私は二次障害(もともとの障害が原因で起こる障害。うつやPTSD<心的外傷後ストレス障害>など)を負うことになりました。 私は大学ごろから二次障害のためにひきこもりぎみになりましたが、私とほぼ二人で暮らしていた母には精神疾患があって、私がほぼつきっきりで世話をせねばならない状態。逃げ出そうにも逃げ出す力が残っておらず、10年ほどの間で心身は疲弊しきってしまいました。私は母に殺意を抱くようになり、母は我を失って私に手をかけかねない。 ここまで追い詰められても、私は自分の障害に気づくことはなかったし、自分たちのような状況の人々が、本来は福祉に助けられるべき存在だということにも気づくことはありませんでした。 状況が変わりはじめたきっかけは、Twitterです。ネット環境の整えられた家から出られず、PCの使い方を知っている人間が何にハマるかといえば、無料の情報をとめどなく得られるネットサーフィン。私はネットで「Twitter」という新しいSNSができたという噂を聞きつけ、さっそく登録します。まだTwitter黎明期の2007年ぐらいのことでした。 2009年ごろ、私はTwitterで、ある鍼灸整骨院の先生と出会いました。語り方が論理的で面白い人で、実際に診てもらいにいったところ、問診中に先生が「あなたは耳が聞こえすぎてるね」と言う。 そこから、耳の聞こえすぎは「感覚過敏」という障害のひとつの「聴覚過敏」だと聞かされ、感覚過敏のある人は、自閉症などの「発達障害」という障害の可能性がある、ということも教えられました。その日のうちにググり(Google検索し)まくった私は、「これは私のことか」と思うような例をざくざく掘り出して「自分はどう考えても発達障害だ」と自覚するに至ったのです。 私の生活はそこから変わりました。いわゆる普通の会社勤めができない人間なのであれば「手に職」をつけよう、と鍼灸師養成の専門学校に入ることを決めて勉強を始め、並行して、母親との関係に苦しむ女性「墓守娘」が通うと言われるカウンセリングセンターにも通う。Twitterで墓守娘のタグを作って発信し、日々の愚痴や想いを垂れ流すことで必死に自分を保つ日々。想いに共鳴しあってやりとりする仲間もできました。 そんな生活を始めて1,2年したころに、東日本大震災が起こりました。母の状態は急激に悪化し、ついに我を失って暴れるように。もう本当に殺し合いになると思いつめていたところ、墓守娘のタグを通して交流していた男性から「僕のところに逃げてきてください」と声がかかります。 本当に都合のいい展開だとは思いますが、事実だからしかたない。このとき助けてくれた男性が、いまの夫です。

いまの幸せもITのおかげ

私のいまある命だけでなく、いまある快適な暮らしや仕事、友人たちとの関係も、ITが支えてくれています。 夫はITに長けた人で、私に、クラウドストレージ(データを預けておけるネット上の倉庫)やスキャナの使い方を教えてくれました。私は、いままでは紙の状態でごしゃごしゃとまとめてあった書類などをスキャンしてクラウドストレージに保存し、日時やタイトル、中身の情報などですぐに見つけ出せるように整理しました。 書類をデータ化すると、ものの絶対量が減るので散らかりにくくなるし、整理や片づけもしやすくなって、生活の効率が格段に上がります。一度保存してしまえば、たとえ家が燃えてもデータが残るところも素晴らしい。 夫は、私が実家から逃げてくるとき、自分のPCのハードディスクを抜いてくるように教えてくれました。彼は私のハードディスクからデータをすべて吸い出してくれました。20代までのSNSのなかった時代の書き物のデータがいま手元にあるのも、やはりITのおかげです。 1年ほど心身の疲れを癒やしたあと、32歳で発達障害の診断を受けた私。ひょんなことでFacebookを通して大学時代の友達と再会します。彼女も発達障害の診断を受けたとのことで、「こちらから働きかけなければ助けてもらえないけれど、私たちを支援してくれる制度は本来たくさんあるよ」と教えてくれました。 私は彼女に励まされて支援機関に電話をかけ、支援員の方に助けてもらって、障害年金(障害者が受け取れるお金)の申請をしました。障害年金の申請の手続きはとてもややこしく、特に障害の状況を説明する申立書は書くのが精神的にもきついと聞いていましたが、そのとおりでした。そればかりでなく、障害年金の受給申請が通るかどうかはほぼ運みたいなところがあるのですが、私の場合、とても運のよいことに、受給が開始されることになりました。 私が難しい申請をこなし、受給開始までのハラハラを乗り切れたのは、まずはFacebookでの友人との再会によって、こういう制度があることを知り、人に助けてもらおうと決意したから、また、自分の若いころからの生活状況を詳しく思い出すことのできる書き物やSNSのログがすべて残っていたから、でした。これもやっぱりITのおかげ。 無事に障害年金の支給を受けるようになった私は、セルフケアや勉強のために本を買ったりできるようになりました。ここから、クラウドワーキングサイト経由でまず英語から日本語への翻訳の仕事を受けるようになり、次に翻訳ライティング、さらに日本語のライティングにチャレンジしていきました。ブログを始め、Twitterではペンネームでの発信を始め…… そうした蓄積で、ネット経由で記名のお仕事や紙媒体のお仕事をいただけるようになって今に至ります。 現在家族ぐるみで親しくしているような友人もほとんどがネット経由で出会った人たちです。 明日の後編に続きます! ●書籍もあります!  

宇樹 義子

発達障害当事者ライター。mazecoze研究所研究員 高機能自閉症と複雑性PTSDを抱える。大学入学後、10年ほど実家にひきこもりがちに。30歳で発達障害を自覚するも、心身の調子が悪すぎて支援を求める力も出なかった。追いつめられたところで、幸運にも現在の夫に助け出される。その後発達障害の診断を受け、さまざまな支援を受けながら回復。在宅でライター活動を開始。 著書に『発達系女子 の明るい人生計画 ―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました』がある。その他、発達障害やメンタルヘルスをテーマとした雑誌などに寄稿。精神医学などについての勉強を重ねつつ、LITALICO仕事ナビなどの福祉系メディアでも活動している。 公式サイト Twitter記事一覧はこちら
研究員プロフィール:宇樹 義子

発達障害当事者ライター
高機能自閉症と複雑性PTSDを抱える。大学入学後、10年ほど実家にひきこもりがちに。30歳で発達障害を自覚するも、心身の調子が悪すぎて支援を求める力も出なかった。追いつめられたところで、幸運にも現在の夫に助け出される。その後発達障害の診断を受け、さまざまな支援を受けながら回復。在宅でライター活動を開始。
著書に『発達系女子 の明るい人生計画 ―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました』がある。その他、発達障害やメンタルヘルスをテーマとした雑誌などに寄稿。精神医学などについての勉強を重ねつつ、LITALICO仕事ナビなどの福祉系メディアでも活動している。
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