10月に入ってしまった。ぺちゃ日記を書かなくちゃ書かなくちゃと思うと、私が書きたいのは本当にこのネタなのかと問い直してしまい、ますます筆が進まないというループに陥っていたのだけど、なんとか脱したよ。ばるさん、秋のキャンプ、楽しんでいますか?
先日、友人にこどもが産まれました。ちぎりパンのような手足、両手をバンザイしても頭を越えない短い手、精巧につくられた小さすぎるツメ、ふにゃふにゃした泣き声……。まだ人間の領域に入っているようには思えず、神様のものに感じられた。久しぶりに新生児を抱っこして特有の香りをかぎながら、我が家の3人の元新生児たちの新生児のころを思い出して、なつかしさで胸がいっぱいになっちゃった。そして、東京時代の自分の子育て黎明期を振り返った。
東京でレストランをはじめたとき、長男はまだ生後8カ月だった。はじめての子育てでどう接して、どう楽しめばいいのか。親になって必要な知識って何なのか。わたしが模索しているってことは、他のハハに成り立ての人も似たようなことを考えているに違いないと、絵本の読み聞かせの会からはじまり、親子コンサート、子連れ防災講座、男子(女子)のほめ方&しかり方講座、つくりおき料理講座、内海聡先生の講演会なんていうのも開催した。三軒茶屋のお店を閉めるまでの4年間、本当によくいろいろ開催した。
特に「男子(女子)のほめ方&しかり方講座」は本当にたくさんの方が参加してくださって、いまでもこの講座で聞いた話は生きていることがたくさんあるけれど、総じて思うことは、幸せというものはコミュニケーションが良好なことをいうんだなという学びだった。
八ヶ岳に移転してからは、3人目が産まれたものの、長男次男も小学生に入り、自分が子育てを学びたいからイベントや会を主催するというフェイズではなくなった。それでも、子どもをしかるようなシーンや、何か失敗をしたとき、どういう表現で声をかけるのが最適かと考えることは多い。
以前はちょっとコミカルな表現が場をやわらかくする「あんぽんたん」を多用していた。だが、最近、最強ワードを見つけてしまったのだよ。今日はこのワードをみんなにシェアしたいという気持ちだけで書いている(笑)。
かつて一世風靡まではしないけれど、テレビでよく目にしたふたり組、クールポコの名セリフ「やっちまったなー」がそう。実は我が子たちが通う「南アルプス子どもの村小中学校」で、クールポコの餅つき芸をもじったクラス発表があり、そこからこどもたちのなかで広がっていた。
ちょうどサッカーをする子どもたちを見ていた時、ひとりの少年がチャレンジングなシュートをしたけれど、外して転んでしまった。その子に友だちが手を差し伸べながら「やっちまったなー」。シュートを外した男子は照れ笑いを浮かばながら「やっちまったよ」と起き上がった。
そのとき、なんてやさしい言葉なんだ!と気づいた。失敗したくやしい気持ちに寄り添いながらも、挑戦したことをちゃんと讃えている。それが、やっちまったなー。
それから、さっそく我が家でも多用するようになった。三男が瓶からペットボトルへと水を移そうといらんことして、やっぱりこぼしたときに「やっちまったなー!」。次男が投げたボールが長男に当たってしまい、激怒しつつも痛がっている長男の様子に、しまったーという顔をする次男がボソっと「やっちまったよ!」「だな、やっちまったな」。学校のプロジェクトで育てているアイガモが獣にやられて守れなかったことを報告してくれる長男。「今日さ、やられちまった!だったんだよ」「それは確かに、やられちまっただったねー」なんていう応用版も!
相手をフォローする言葉にも、自分をなぐさめる言葉にもなるやさしいワード。こどもたちのほうがそれにいち早く気づいて使っていた。さすが、子ども村のこどもたちだなと感心する。
クールポコのふたりにとっては、感心されるよりも、笑ってほしいだろうけれど、お笑いの効用の素晴らしさは、人のしくじりやくやしさなどせつなさが伴う哀しさに寄り添えることにあるように思う。
ぜひ、使ってみて。やっちまったなー!
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つくるめぐみ代表
得意なテーマは自ら実践する「田舎暮らし」「女性の起業」「自由教育」。八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」女将であり、「自分らしい生き方」などをテーマとした編集・ライターでもあり、三兄弟の母でもあり、こどもたちをオルタナティブスクールに通わせている。「誰もが、オシャレしてメシ食って恋して仕事して、最期まで自分を生きられる、自立した社会づくりに貢献すること」を理念に活動。2020年より古民家一棟貸しの宿、棚田を愛でながらコーヒーを楽しむカフェ・ギャラリーも開業する。
→ Terroir 愛と胃袋