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20年続くコミュニティの秘訣! 細く長くゆるゆると包摂する場“井戸端手話の会”

平原 礼奈 │ 2022.06.28
今回井戸端手話の会から代表して参加してくれた4人。左から伊能直美さん、大西紀子さん、松森果林さん、依田佐知子さん。みんなで井戸端手話の会の「井」の手話!

20年続いてきたコミュニティの秘訣を聞きに

こんにちは。mazecoze研究所のひらばるです。
maze研でもお馴染み、ユニバーサルデザインアドバイザーの松森果林さんが仲間たちと続けてきた活動があります。その名も“井戸端手話の会”!

井戸端会議と手話の学びがまぜこぜになったその場には、私も15年以上前に呼んでもらったことがあるのですが、なんと今年発足20周年を迎えると聞いて。すごくないですか? 20年続くコミュニティ。

井戸端手話の会はどんなふうにはじまって、つながって、今に至るのか。この機会にうかがってきました。
取材時の共通言語はもちろん手話で。いつもの井戸端手話の会がそのまま開かれたような、和気あいあいとしたみなさんのお話をお届けします!
※以降、井戸端手話の会のことをみなさんのお話のまま“井戸端手話”とか“井戸端”と表記します

お話を聞いた人

松森果林さん
ユニバーサルデザインアドバイザーとして、公共施設からエンターテインメントまで幅広く手がける。中途失聴で聞こえなくなって30年。井戸端手話歴20年。
松森果林UD劇場~聞こえない世界に移住して

大西紀子さん
いつもは主婦で天然枠代表。最近お孫さんが誕生!井戸端手話歴20年。
>バリアフリーチャレンジでの連載:死ぬ死ぬ詐欺に憧れて

依田佐知子さん
手話の勉強をしているときに井戸端手話に参加。学びながら手話通訳士の資格を取得し、手話通訳者として活躍中。

伊能直美さん
井戸端手話の “楽しい担当”。ムードメーカー的存在。

子どもが言葉を吸収していくように、手話とふれあう場のはじまり

ひらばる
井戸端手話の会20周年、おめでとうございます!
今日は、続くコミュニティの秘訣とみなさんの関係性についてお聞きしたいです。まずは、井戸端手話の会がどうやってはじまったのか教えてください。

果林さん
2003年の春、息子が幼稚園に入園したときに、たまたま紀子ちゃんの子どもと一緒のクラスだったんです。教室で先生の話を聞くとき隣の席になって、ふんわりとしたあたたかいオーラに、仲良くなりたいなって話しかけてみました。

「手話」の手話をする紀子さん

紀子さん
「バスの表にマルをつけるのこれでいい?」って聞かれたんだよね。
耳が聞こえないお母さんがいるのは噂で聞いていたのですが、私は手話がわからないし、声だけではうまく伝えられず、その時は「うんうんうんうん」としか言えなくて(笑)家に帰って「もっと伝えたかったな」という気持ちでいっぱいになりました。翌朝、バスのお見送りの時、果林ちゃんに「手話を教えて」って言ったんです。

果林さん
それで、あるお母さんが、「いつもやっている井戸端会議を手話でできるようにしない?」と提案してくれて。大きなマンションで子どもの数も多いから、あちこちで井戸端会議が繰り広げられていたんです。
はじめは紀子ちゃんの家に集まって、ランチを食べながら。5人からのスタートでした。

ひらばる
地域で生活する上で情報が伝わりにくいという課題を一番持っていた果林さんが旗振り役となって、井戸端手話の会を立ち上げたのだと思い込んでいました。お互いにゆるやかにつながる中ではじまったのですね。
果林さんが聞こえないことを、みなさんが既に知っていたのはどうしてですか?

「伝える」の手話をする果林さん

果林さん
自分から伝えていました。子どもたちは住んでいるところも同じ、幼稚園の先小学校、中学校とこれからずっと一緒にやっていくことになるでしょう。子ども同士の付き合いはそのまま親同士の付き合いにつながるし、私が聞こえないことを知っていてもらう必要があるなって。自分にとって一番伝わりやすい言葉である手話にも興味を持ってもらえたらいいな、という気持ちもありました。すべては子どものために、でしたね。当時は。

ひらばる
果林さんは、手話を知らない聞こえる人に、自分から手話と声を使って話しかけていたということですよね。それってとても勇気がいることだと思うんです。
自分のことや手話を知ってもらおうとする行動が、みんなの気持ちを動かしたんだろうな。そのランチ会は、どうでしたか?

果林さん
最初の表現は、「朝顔」でした。紀子ちゃんの家のベランダに朝顔の植木鉢があって、当時は正式な手話表現がなかったので「朝顔」は朝+顔で伝わるかな~って。
※その後2009年に「朝顔」の新しい手話単語ができた。参考:全日本ろうあ連盟発行『わたしたちの手話学習辞典Ⅰ』

紀子さん
「朝っていう表現は何の意味があるの?」って聞くと果林ちゃんがすぐに答えてくれて。わからないことがあると全部教えてくれました。

果林さん
間違っていることもあったかもしれないけどね(笑)
でもそうやって、子どもが言葉を覚えていくように、身近にあるものを一つひとつ手話で共有していきました。
次第に口コミで広がり「楽しそう」「私もやりたい」って10人、20人と人数が増えて。週に1回、平日1-2時間マンションの集会室を借りて井戸端手話の会をするようになりました。

伊能さん
私もその頃参加しました。人数が増えて、少し勉強っぽい感じになって。資料を作ったり、指文字を習ったりしていたよね。

果林さん
はじめは私や紀子ちゃんが資料を作っていたけど、当番制に変わって。それぞれ手話の本を見て資料を作ったりしていたよね。

ひらばる
メンバーは、お母さんが中心ですか?

果林さん
ほとんどお母さんですね。当時はマンションのメンバーがほとんどでした。いまは、半分以上が外からのメンバーになっています。

多様に広がる活動、そして「あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞」受賞

ひらばる
井戸端手話の会の活動内容をもう少し聞かせてください。

果林さん
「自分の話したいことを手話でできるようにする」というのを目的にしました。これも初めから決めていたわけではなくて、段々とできていった感じ。
やっていたのは指文字のしりとりや、手話でクッキングをしたり、子どもの絵本をテキストにしたり。あと時々ゲストを招待しました。レナも来てくれたよね!

ひらばる
前職で新入社員のときに作った『0歳からの手話』という本の制作物語を紙芝居にして、それを手話で話すというのをやらせてもらいました。今日、紙芝居引っぱり出してきた(笑)

自作の紙芝居を広げる私。この紙芝居で手話サークルとか母校とかいろんなところを巡りました。

果林さん・紀子さん
わー、なつかしいーー!!

井戸端手話の会ではテキストにもしてもらった『0歳からの手話』

ひらばる
この本は、私が学生のとき果林さんをテレビで見て生まれた企画です。その後、実際に果林さんとも会うことができて、たくさんの人の応援と協力のもとに出版しました。帯の言葉も果林さんが書いてくれたんですよね。完成が2005年で、紙芝居に行ったのが2006年くらいかな。みなさんがすごく優しく受け入れてくれたあの雰囲気をすごく覚えています。

果林さん
いろいろなつかしいね!

果林さん
井戸端手話では、母親同士のリアルな情報交換というのも大切にしています。「井戸端コーナー」と言っているんですけど、近所のおいしいお店や家事のコツ、病院やお買い物情報、家族の悩みから夫には絶対言えないヒミツまで(笑)いわゆる井戸端会議を手話でやる、というものです。

ひらばる
リアルだなー。さっきから、みなさん普通に手話で話せていてすごいなぁと思っていたのですが、「自分の話したいことを手話でできるようにする」という目的も達成していますね!

果林さん
手話通訳士の佐知子ちゃんに本当の手話を教えてもらうこともあるよ(笑)

「生まれる」の手話(このあと両手を開く)をする依田さん

依田さん
いや、本物の手話はここで産まれていると思う(笑)

ひらばる
正しいというよりは、生きている手話が。

果林さん
「井戸端手話キッズ」というイベントもしました。子どもにも手話にふれる機会をつくって、豊かなコミュニケーションを感じてもらいたいなと思って。赤ちゃんから小学生まで30人くらい集まって、ゲームやミニ講座を通していろんなことを勉強したり楽しむという企画でした。

紀子さん
子どもって素朴な疑問をたくさん持っているから、なんでもきいていいよっていう質問コーナーを作ったり。

果林さん
「朝はどうやって起きるの?」とか、「呼ぶときはどうすればいい?」とかね。

あしたのまち・くらしづくり活動授賞式の様子(写真提供:井戸端手話の会)

果林
活動が広がって、2009年には「あしたのまち・くらしづくり活動賞」で540団体の中から「振興奨励賞」を受賞しました。表彰式では紀子ちゃんに手話通訳をしてもらったんです。

紀子さん
まだぜんぜん通訳とかできなかったから、もごもごしてたけど(笑)

果林さん
いろんな現場に体当たりで慣れていったよね(笑)

続くほどに、シンプルになっていく

ひらばる
活動を続けていくって、しかもこんなに長い間続けるのは簡単なことではないと思います。秘訣があればぜひ聞きたいです。

紀子さん
学びを真ん中にすると、学んで蓄積してもっともっとってなるので、資料やテキストも必要になるし、みんなが負担を感じてしまうなと思うことがあって。

伊能さん
参加の意気込みも、手話を真面目に勉強したい、という人もいれば、私みたいに楽しみたい、というのが先に来る人もいるしそれぞれ違ったもんね。

果林さん
だんだんと手話の勉強というよりは、自由な楽しい場づくりに変わっていきました。いまは「井戸端コーナー」だけやっています(笑)

紀子さん
つまり、普通の井戸端会議(笑)

ひらばる
最終形態だ。

「場」という手話をする依田さん

依田さん
私も仕事の都合で幽霊部員になっていたときがあるのですが、いま再び活動中です。
メンバーは家庭や子ども、仕事の状況もまちまちだけど、そのときの自分に合わせて自由に参加できて、みんながあたたかく受け入れてくれる場というのが大きいと思います。悩んでいたり溜まっていたりすることを持っていって吐き出してさっぱりみたいな(笑)
しばらく休んでいても、みんなの顔が浮かんで参加したいっていう気持ちが湧いてくるんです。

ひらばる
お話を聞いていて、課題感だけではコミュニティは続かないのだなと思いました。その場に会いたい人がいて、それぞれ大事にしたいことが守られることも大切なんだと。

果林さん
手話ってどうしても教える、教わるという関係性になりがちでしょう。井戸端も最初はそうだったと思います。
子どもが大きくなってきて、仕事をはじめるメンバーも増えて、参加人数が少なくなったときがありました。もうやめたほうがいいかな?と思って、メンバー全員にアンケートをとったんです。井戸端手話は続けたほうがいい?自分にとってどんな存在? って。
そうしたら「参加できなくてもこういう会がほしい」とか「少しでも手話を使う場があれば続けたい」と書いてくれていて。一人でもそうしたい人がいるなら、細く長くゆるゆると続けていこうと。

紀子さん
その代わり、当番制をぜんぶやめて、日程だけ決めて、来られるタイミングで参加しやすくしました。行ったら私たちしかいなくて寂しいなってときもあったけどね(笑)

果林さん
それも含めて井戸端だからね(笑)いまはまた人数が増えて12人くらいはいるかな?

ひらばる
活動を続けていると、普通はルールって増えていくものだと思うんですけど。井戸端手話はその逆で、どんどん研ぎ澄まされてシンプルになっていくのがおもしろいです。それで続いていくのがすごいなと思うし、だからつながっていくんだなぁとも。

果林さん
2012年から地域の小学校の夏休みの特別講座に、井戸端手話の会による出前講座も実現しました。子どもの頃から生の手話と出会う機会であり、母親達全員が講師になる機会として、毎年人気の講座になっています。いまはコロナで中止が続いているけど、母親同士のコミュニケーションが学校に広まり、地域につながり……まさにつながりの連鎖ですね。
井戸端20年、子どもたちにどういう影響があったかと聞かれることがあります。現時点で、誰かが手話通訳になったとか、はっきりとした具体的な形にはなっていません。でも、それは私たちが求めることではないし、いつかどこかで一人ひとりの中で何かにつながっていけばいいなと思っています。

ひらばる
つながりの輪がどんどん拡がって。子どもにとって、親が安心できる場をもてていることは自分の安心安全にもつながると思うし、何より親が楽しんでいる姿を子どもが見るってとても大事だと思います。

果林さん
大きなことは望んでいない(笑)でも、絶対心の中にあると思うからね。

いつも中心にあなたがいて、世界を共有できる場所

依田さん
いつもこの場をつくってくれているのが、果林ちゃんと紀子ちゃんです。中心にいてくれる太陽みたいな存在で、この二人だからなのかなっていう思いもあります。

ひらばる
紀子さんはどうして続けてこられたんですか?

「一緒」の手話をする紀子さん

紀子さん
言い訳かもしれないけれど、子どもが大きくなって仕事を始める人が増える中で、私は障害を持っている娘のお世話もあって、仕事に通うことができませんでした。
嫉妬もしましたよ。佐知子ちゃんが手話通訳士になったとか、地域で、世界でみんな活躍していて。同じ女性として、主婦として、お母さんとして、私はみんなと違うんだってもやもや、うじうじしていました。
でもそれを解消してくれたのも井戸端でした。溜まったもやもやを話して、私が体験できないみんなの世界を共有してもらって、みんなの人生も一緒にもらったみたいな気分になって。それで充実した生活が送れる。本当に大事な場所だなって思います。

「中心」の手話の途中の果林さん

果林さん
いつも中心にいてくれる人だからね。紀子ちゃんと出会って、天然っていうのもあるけど、人の悪口を言わないし、本当にピュアなんです。愚痴は言うけど(笑)
井戸端手話の会ができたとき、お互いの尊厳を大事にして、傷つけたりしない、安心できる場にしたいと思いました。そのためには、私たちがそういう状態でいなければいけないよねって。そんな雰囲気づくりが私たち、自然とできていたのかな。私にとっては、紀子ちゃんの存在があったから続けてこられました。

紀子さん
暇だからみんなが集まる場所にいることができるんだけど(笑)でもそれをみんなが頼ってきてくれて。はじめは手話の勉強だったけど、いまは話したい場としてみんなが来てくれているのが嬉しいです。

果林さん
井戸端のおかげで子どもたちの情報交換ができて、子育てもできて。今こうしてみんなの話を聞いて、ほんとにいいことも悪いことも、人生を分かち合う存在だなぁと思います。

依田さん
いろいろ思い出すね。いろいろあったなーって。

病めるときも健やかなるときも、まるごと「ネタ」と包み込む

紀子さん
私は、果林ちゃんから楽しむことを学びました。なんでも楽しんでって。
私、人と比べると不幸な人生を歩んでいるような(笑)でも、悲しいに集中していたら悲しくなっちゃうけれど、その中にも楽しいことが絶対ある。なんでも楽しもうという考え方をすごく学んだと思います。

果林さん
日常生活の中で悲しいことや嫌な部分も持って行って、みんなで共有して、笑って帰る、みたいなね。

紀子さん
「ネタ」って言っているんですけど(笑)おもしろいネタもたくさんあるんだけど、人生で最悪!っていう悲しいネタも、ぜんぶまとめてネタとしてみんなで共有しています。
先日、年配のメンバーから「あなたが全部喋っちゃうから、自分も喋ってもいいんだって思えた。悲しいことだって、みんなで共有していいんだって初めて思えたのよ」って言ってもらって。私はただ喋っているだけだけど、そう思ってくれる人がいるのが嬉しいなって。

果林さん
ありのままでいいんだって。紀子ちゃんほどオープンにできる人ってなかなかいないと思うんです。ネガティブなことも全部話してくれるから、私たちも言えるんだよ。

ひらばる
自分がまず開いていないと相手も開けないというのもありますもんね。

果林さん
オープンザドア〜(笑)

紀子さん
開いてるからすぐ騙されんのよ、悪い人に(笑)

ひらばる
でも開くことをやめない(笑)

紀子さん
やめない、学ばない(笑)

果林さん
紀子ちゃんのようなあり方を、自分も同じようにしていくことができると思うし、自己開示とか自分から開いていくこと、一番大切だなと感じています。

井戸端手話の会20周年。これからへ、それぞれの思い

ひらばる
20周年、ここで終わりではないと思います。この先のイメージとか夢見ていることがあれば聞かせてください。

果林さん
20年前から同じことを言っているんです。「20年後も同じことをやっていこう」って。その頃私たち60-70代? 縁側でお茶を飲みながらやっていたらいいな。いつまで続くかわからないけれど、続いたらいいなと思っています。

伊能さん
大きな夢というのはないんだけど、果林ちゃんと出会って世界が広がりました。普通に暮らしていると出会えない人をゲストとしてたくさん紹介してくれて、刺激になるし。
それから障害とか、あまり気にしなくなりました。たとえば息子たちが障害のあるフィアンセを連れてきたり、同性の恋人を連れてきたりしても、大丈夫な自分になったというか。いつでも楽しく笑って、おもしろおかしく生きていけそうだなと思っています。

果林さん
直美ちゃんはね、職場で接客の時に手話を使ってくれたりもしているんですよ!

依田さん
井戸端手話の会から、とにかく楽しむことが大事、と教えてもらいました。楽しんで、いろいろなことに向き合いたいなと思っています。
これからも私にとっての心の実家みたいな、とにかく、いつでも帰れる場所。みんなに頼るだけでなくて、私もメンバーとして守っていきたいと思っています。

果林さん
私にとってこの井戸端手話の会っていうのは……人生の一部だよね。
それがない人生って想像できないし、井戸端と共に。井戸端があったおかげで、みんなのおかげで、ここまでやってくることができました。涙出ちゃうね。
これからやりたいことはいくつかあって、20周年だからこれまでの歩みを冊子にまとめたいなというのが一つ。
もう一つは、このコミュニティについて誰かの参考になればいいなと思います。子育てのときってママ友や周囲の人の協力が本当に大事なので、少しでも悩んでいる人の参考になれたらうれしいです。

紀子さん
井戸端手話の会は私とずっと一緒にある、家族みたいな存在です。
いま、実は私が病気になったのをきっかけに、またみんなが強く集まってきたっていう気持ちがあります。みんなを悲しませちゃダメって。夢とかこれからのことを考えるのはちょっと不安にもなるけど、みんなで楽しく普段通り井戸端を続けていきたいなと思っています。
最後の最後の、もし私に何かあったときには、みんなで「井戸端お葬式」をしてもらって。私の頭を林家パー子さんみたいに楽しくしてくれるって言っていたので(笑)

お腹かかえて泣き笑いする二人

果林さん
事前に伝えておかないと(笑)

紀子さん
自由に楽しくやっていただいて(笑)

果林さん
こういうことを言えるのが井戸端のすごいところだよねー。

ひらばる
良いことも悪いこともネタにしてってさきほど言っていましたが、紀子さんのご病気のことも、まさにネタとしてみんなに共有しているんですね。

紀子さん
カツラネタは鉄板です。なんでも聞いてください。

果林さん
風が吹くとーとかね。

紀子さん
某テーマパークのジェットコースターはカツラを被っていると乗れないという情報ももらっています。よかったー、前もって聞いててって。

果林さん
20周年の記念にね、こんなネタぶち込まなくていいって!

ひらばる
みんなのいつもの様子がありありと想像できるなー。いま、すでに井戸端手話ですよね。

みなさんのお話が楽しくて、終始めちゃくちゃ笑いました

カメラマンの木内さん
井戸端感が伝わってきました(笑)

紀子さん
どこに行っても、身一つで、井戸端はできるから。

ひらばる
これからもずっと続いて、ぜひまたお話を聞かせてください。
今日はありがとうございました!

お茶目な二人。大好きな人たち。
祝20周年!おめでとうございます!

編集後記 井戸端手話の会のみなさまへ

果林さんから「井戸端手話の会20周年の記念冊子を作るから、レナからもメッセージをちょうだい!」と連絡をもらったとき。その少し前に、紀子さんがご自身の病気のことも公表されていて、「あーみんなに会いに行きたい!」「私なりのやり方でお祝いを伝えられたら」という思いが募りました。

できることはやっぱりmazecoze研究所での記事だろうと。
コロナになってオンライン取材が中心だったけれど、今回久しぶりにリアルで、カメラマンの木内さんに撮影をお願いして取材に臨みました。
会いたい人たちに会いに行けて、みなさんのパワフルな笑顔を木内さんの写真で切り取ってもらえて、私もこの場をささやかに続けてきてよかったと心から思いました。ほんとーに楽しかったです!

そして、みなさんがこれまで蓄積してきたコミュニティの知恵のお話は、一人とみんなの人生を豊かにする視点にあふれていました。

井戸端手話の会のみなさま、改めまして20周年おめでとうございます!
40周年のときにもまた、取材に行けたらいいなと思っています。それまでこちらもゆるゆると活動を続けたいと思います。またお会いしましょう。ありがとうございました!

〈撮影:木内和美/取材執筆:平原礼奈〉

研究員プロフィール:平原 礼奈

mazecoze研究所代表
手話通訳士
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行う。
人材教育の会社で障害者雇用促進、ユニバーサルデザインなどの研修企画・講師・書籍編集に携わった後に独立。現在多様性×芸術文化・食・情報・人材開発・テクノロジーなど様々なプロジェクトに参画&推進中。

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