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こんにちは。maze研のひらばるです。
以前、永澤仁さんの記事が公開されたとき、素敵なコメントを寄せてくれた人がいたんです。
うれしくなってだれだれ? と調べると、その方の肩書きがなんと「土偶女子」。
さらには、『土偶界へようこそ』、『土偶のリアル』、『にっぽん全国土偶手帖』などなど、土偶本もたくさん執筆されている。
え、気になりすぎる!
ということで、永澤さんにご紹介いただき土偶女子代表の譽田亜紀子(こんだあきこ)さんにお話をうかがってきました。
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2017年に京都から単身上京し、書籍の執筆や講演活動など精力的に活動されている譽田さん。もともとはフリーのライターとして、様々な媒体の執筆を手がけてきたのだそう。
そんな譽田さんがある土偶と衝撃的な出会いを果たしたのは、2010年のこと。
「奈良のデザインにかかわる本を執筆していたとき、奈良県立橿原考古学研究所の企画展で、この子が入口に立っていたんです。
普通土偶って言ったら、教科書に載っているような遮光器土偶とか、有名どころがあるじゃないですか。なのに、何だこれは! と」
これが譽田さんを魅了した土偶! ぽわーん。譽田さん著の『土偶界へようこそ』より。
これ、土偶……?
奈良で発掘されたという高さ15.8センチのその子は、シンプルな作りの人形に、くり抜かれた丸い穴が二つ、その真ん中に大きめの窪みがひとつ。
気が抜けたようでいて、ふくらはぎはもりりとたくましい、なんともユーモラスな風貌!
「でしょ? この力の抜け具合。それにこの二つの穴、目じゃなくて耳なんですよ。耳、耳、口なんです」
耳と口はこんなに強調されているのに、目がないと。不思議ー。
写真に添えられた譽田さんのコメントをご紹介しましょう。
タイトルが「私の恩人」ってなってます(笑)
想像力と好奇心で土偶と向き合う譽田さん(画像提供:譽田さん)
「土偶についても縄文時代についても、わかっていないことがほとんどなんです。
その中で、相手に専門知識を要求したり、知識の上に成り立たせようとしたりすると、どんどん遠い存在になってしまうんじゃないかなと。
私の役割は、この子たちやこの時代を、子供からお年寄りにまでわかりやすく伝え、興味を持ってもらうことかなと思っています」
土偶女子代表の譽田さんは、土偶を現代につなぐ通訳者だったのですね。
これが最古級と言われる土偶。……おっぱい?
では早速、譽田さんに土偶の魅力を教えてもらいましょう。
まず、土偶って一体なんなのでしょう。
「ある外国人の専門家が土偶の研究をしたんですが、その結論として“何も分からないということが分かりました”と(笑)
そういう存在ではありつつも、土偶は、祈りの対象だと言われています。
現在発掘されているものは、1センチから45センチほどなんですけど、草創期の最古級と言われる土偶は3.1センチ。持って歩けますよね。
しっかり定住が始まっておらず、まだ流動的に人が動いている時代だから小さいし、おそらくは個人的な祈りが具現化した、お守りみたいな形で持たれていたのではないかと」
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その後、縄文の社会が集団化してきて、中・後期になると土偶も大型化したりはしたそうですが、集団のためだけに存在したのではなく、あくまで個人的な祈りの対象としても残っていたはずだと考える譽田さん。
でも、祈りの対象という意味では、仏像もそうですよね?
「その質問はよく受けます。
少し乱暴な言い方をすると、ある権力を持った人が仏師にお願いをしてアイコン的に作られたものが仏像で、それに対して土偶っていうのは作者も分からない。
でも、誰かが誰かを想って作ったっていうのは確かなんですよね。すごくパーソナルな一点物。私はそこに魅力を感じます。
もちろん型式ってありますけど、それは現代を生きる私たちが研究の一環として便宜的に作っただけのことで。形はすごくユニークで、自由!」
「しゃがむ土偶」とご対面(画像提供:譽田さん)
ほかにも、土偶は精霊だという見解や、縄文時代の人のアイデンティティを表すもの、あの世とつながる媒体、バラバラになっているものもあって、何かの身代わりにしたのではないかなど、いろいろな捉え方があることを教えてもらいました。
それにしても、学生時代に土偶の種類を一生懸命覚えた記憶があるけれど、その存在意義や作り手の思いなんて考えたこともなかったなぁ。
取材時妊娠中だったひらばる、ちょっと土偶っぽい。
さらに土偶には、正中線があるもの、女性器が作られているもの、お腹がぽっこりと膨らんでいるものなど、妊娠しているものが多いのだそう。
「出産で、生まれてくる子の半分位が亡くなった時代です。
人口を維持させ集団が続いていくことを第一に考えたときに、子供が元気に生まれてちゃんと育てるということ、そこに対しての祈りがとても大事にされていたのではないかと思います」
だからこそ、土偶からは子を産む存在である女性に対しての畏敬の念をすごく感じると言う譽田さん。
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「人の命の重みが埋葬方法にも表れていて、赤ちゃんたちは土器に入れられて埋葬されていることも多いですし、発掘されたときに頭蓋骨がベンガラ色に染まってるものもあって。縄文時代の人にとって赤い色っていうのは命の再生を意味するんです」
死んで終わりではなく、命は再生するものとしてすでに捉えられていたと。
縄文時代に生きた人の間に、どこからそういった価値観が生まれてきたのでしょう。
「彼らが自然の営みを見て、自然と共に生きていたからでしょう。
草木が毎年枯れてなくなるけれど、また芽吹くように、自分たちも自然の一部であるいう感覚だったんじゃないかな。
彼らにとって自然と自分達の境界線はたぶんなかったはずなんですよ。だから森を征服することをしないし、うまく共生するっていうことをしていたんだと思います」
共生という点では、譽田さんのご著書『知られざる縄文ライフ』に、「病気と闘う縄文人」という項目があります。
1人では生きられないほどの大怪我をした人が、寿命を全うする年齢まで生きていたとか、ポリオ(小児まひ)に罹ってから十数年ほど生きていた人がいたということが、発掘された骨からわかったと。
自分が生きていくのでさえおそらく大変な時代に、自然淘汰ではなく、助け合いや介護で長く生きていた人がいたということに、少し驚きました。
「すごくね、“お互いさんだよね”って言って暮らした時代なのではないかと思うんです。
書籍を書いていたとき、監修の先生に “家族という言葉を使わないように”って言われたことがあります。家族という概念は、縄文時代にはなかったはずだと、だから軒の下に暮らしているっていう単位で考えてくれって。
たとえば父ちゃんたちが、狩りに行って怪我をして亡くなったりすることって結構あったはずで。そんなときはその兄弟とかが来て面倒を見ていることもあっただろうし、もしかしたら両親とも亡くなって子供だけになっちゃったところはまた別の誰かが “じゃあ一緒に暮らす?”みたいなノリで。
いまでいうステップファミリーとかは普通だっただろうし、いろんな暮らしの形があったのではないかと言われています」
お互いさまで、自然に寄り添い命のサイクルを尊んでいた時代。それが土偶の姿にもしっかりと表れていたのですね。
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約1万5,000年前から1万年以上続いた縄文時代。
その時代の人やモノが、現代の私たちに教えてくれることってなんなのでしょう。
「まず、現代の2000年で、いや100年の間にでも、どれだけ時代が変わったかと想像してみてもらいたいんですけど、怒涛の変化じゃないですか。
そこで改めて、1万3000年続いたといわれる縄文時代を思うともう、悠久過ぎて一つに考えを集約するのは無理なんですよね。それでも、一つの時代として成り立っている。
土偶にしても、人にしても、同じ時代の中で、もちろん変化はしています。ただその中で、どうして自分が土偶や縄文にハマるかというと、たぶん人の生理で考えた時に、縄文時代くらいのスピードが生物として合っているからだと思うんです」
人はそんなに早く賢くならないし、生きていけないはず、と譽田さん。
「いまこの10年や100年でどんどん前に行こうとしていることのほうが、人としては不自然ではないかというのがすごくあって。
心が疲れて肉体やいろいろなところに歪みが出てくる人がこんなにも多いのは、生物として考えたときに、すごく無理をしているんじゃないのって思うんです。
かといって、いま縄文時代の生活に戻れということではないですよ。
人は本来こういうペースで生きていくのが正しいかもしれないよねって知るだけで、なんとなく自分の考え方や立ち位置を変えられるのではないかと。
だって、朝起きて土器でお湯沸かすだけで1時間かかってたんですよ。人生40年くらいなのに(笑)
1日の濃度がすごく濃いわけですよ。それもやっていることが濃いわけではなくて、自分の命を使って生きているとたぶん彼らは感じていて、そういう命の使い方が濃いというか」
たしかにいまは、3分でお湯を沸かしてその後の時間で何をして……と生産性の高さばかり測ってしまいがちですが、食べて、採って、命をつないで「ただ生きる」という原始的な濃さというものもあるんですね。
発掘現場で(画像提供:譽田さん)
「東日本大震災があった後、縄文時代がまたざわざわと注目を浴びるようになったんです。
その中には、エコであるとか、電気を使わないとか、もっと自然と共にっていう雰囲気のものもあったんですけど、私は考え方というか、あり方にいま一度人の心が向いたんじゃないかと思うんです。
なんとなく誰かにやさしくしてみるとか、誰かから奪うことばっかり考えないとか。
縄文人は与えることの方が多かったんじゃないかと思っていて、お互いさま、ギブアンドテイクがしっかりなされていたから、1万年も一つの時代が作られたのではないかと」
自然と共に「お互いさま」で生きてきた長い時代。
そこには動物である人間としての無理のない「生きる」があって、私たちがいま生きている生活のベースには、そんな縄文人の生活があると譽田さんは続けます。
なんか、土偶見ながら話を聴くと癒されるー。
ところで、土偶との出会いにはじまり、土偶女子代表になって、縄文時代にまで足を踏み入れてしまったら、譽田さんの土偶・縄文探求の旅は一生終わらないですよね。これからどうされていくのでしょう?
「どこまでいっても確かなことがわからないんですけどね。学者でもないのに、また勝手なこと言ってって言われちゃうこともあるし(笑)
でも私はやっぱり、いまと縄文をつなぎたいなと思っているんです。
私の見る縄文っていうのは、どうしても現代からしか見えないから、勝手な解釈になることもあるけれども、できるだけ彼らに近づきたいと思うし、近づいたらそれを自分達の生活の中にエッセンスとして還元させることを、もう少し広げられるといいなと思います」
土偶の魅力を伝えるため全国を巡る(画像提供:譽田さん)
女性が大切にされた時代だったはずだからこそ、現代の女性にもっと伝えていきたいと話す譽田さん。
「特にお母さんたちにこの時代のことを知ってもらいたいと思っているんです。母系社会なんですよ、縄文時代って。
いまのお母さんたちには、もっと自由に、自信を持ってほしいし、子育てってすごい、と。
子供に対しても強い思い入れがあって、私が本を作るのも何でかというと、いろんな経済状態の子がいて、本が買える家の子ばかりじゃないから、せめて図書館に入れてもらうことで、土偶と出会って、こういう時代があったんだよって子供に知ってほしいんです」
子育てをしていると「キー!」っとなることも多々。
でもそんな時に、縄文的なコミュニティーやお互いさまの価値観を知って、生きることに真っ直ぐなだけでいいんだと感じられたら、辛い時を乗り越える力をもらえそうです。
「子供を産み育てた人がいるから、命がずっとつながっている。とても大切な仕事をしてるんだともっと認識してほしいし、もっと大切にされるべきだと思うから。
そうやって縄文時代の母ちゃんたちが苦労して産んで育ててって必死に生き抜いてきてくれなかったら、いま私たちいないわけですからね」
女性も、子供も、多様性ある家族のあり方も、社会全体の愛情の中で命が育まれていった時代。疲れたときにちょっと立ち止まってその悠久の営みを思うだけで、なんだか元気が湧いてきそうです。
譽田さん、土偶や縄文時代にふたたび出会わせてくれて、ありがとうございました!
その後、土偶から妖怪話まで盛り上がりましたが、収拾がつかなくなるのでその話はいつかまた。
譽田亜紀子さんブログ https://lineblog.me/kondaakiko/ 参考図書 『土偶界へようこそ』(山川出版社)譽田亜紀子著 『知られざる縄文ライフ』(誠文堂新光社)譽田亜紀子著、武藤康弘監修 『別冊太陽 縄文の力』(平凡社)小林達雄監修 (取材 mazecoze研究所/text ひらばるれな)
目次
衝撃の出会いを経て、土偶女子の誕生
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私の恩人 この子に出会わなければ、私は土偶界へ足を踏み入れてはいない。私の恩人である。ところが恩人には目がない。鼻もない。目のように見えるこの二つの穴は耳の穴だという。なんということだ。この子には、目をつぶり、耳を澄まして森のざわめきや人の声に耳を傾けようとする縄文人の想いが詰まっているということか。やっぱり偉大な恩人だ。 (『土偶界へようこそ』より引用)この土偶については謎に包まれたままですが、土偶を見つめる譽田さんの解説、想像力がおもしろい!
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すべての土偶が誰かを想うために作られた一点もの
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障害があっても大怪我しても、助け合いで寿命まで生きられた時代
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悠久の時を生きた縄文時代人といまをつなげる
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譽田亜紀子さんブログ https://lineblog.me/kondaakiko/ 参考図書 『土偶界へようこそ』(山川出版社)譽田亜紀子著 『知られざる縄文ライフ』(誠文堂新光社)譽田亜紀子著、武藤康弘監修 『別冊太陽 縄文の力』(平凡社)小林達雄監修 (取材 mazecoze研究所/text ひらばるれな)
研究員プロフィール:平原 礼奈
mazecoze研究所代表
編集者・手話通訳士
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行う。
人材教育の会社で障害者雇用促進、ユニバーサルデザインなどの研修企画・講師・書籍編集に携わった後に独立。現在多様性×芸術文化・食・情報・人材開発・テクノロジーなど様々なプロジェクトに参画&推進中。