「微細がいっぱいが、いいよなぁ」
海の家主宰 まぐろの目玉 店主
永澤仁さん
伝説のクリエイティブディレクターが魚屋さんに?
こんにちは。mazecoze研究所の平原です。
先日、黒井さんから「気仙沼出身でキリンの氷結やセブンイレブンのCMやってるコピーライター&クリエイティブディレクターの永澤仁さんが震災以降ずっと練っていたまぐろの目玉がついにオープン!」と「?」なメッセージが届きました。
そこから永澤さんのことを調べたりご著書もったいないワタシの売り方を読んだりするうちに、あ、広告業界の巨匠的な人だ、と。
国内外で100以上もの賞を受賞し、誰もが知るブランドやCMフレーズを数多く作ってきた、そんなすごい人がなぜ魚屋さんを?
せっかくならそのお魚もいただきながら話を聞こうと、永澤さんの「まぐろの目玉」であれこれお魚を仕入れて取材に臨みました!
>>永澤さんの美味しいお魚をいただく後編を読む
前日まで中東を旅していた永澤さんが部屋に入ると同時に、「mazecoze研究所って何なの?」とごもっともな質問が。
自由な働き方や暮らし方でいろんな境界線を超えて活躍する人の話を聞き、これからの生き方を探究・実験する場です、とお伝えしたら、
「微細がいっぱいが、いいよなぁ!」
と。もうその瞬間に、今日の取材は終わりでもいいと思いました。そう、微細がいっぱいが、それぞれに価値を発信して回ったりかけ合わさったりしていくのが、maze研の目指す社会なんです。永澤さん、このコピー、なんかで使わせてください。
早速お話を。永澤さんはクリエイティブディレクター&コピーライターとして数々のクリエイティブを手がけ、競合プレゼンでは3年半無敗という、もはや伝説上の人物です。では、無敵状態で広告の仕事を続ける一方で、なぜ魚屋さんを始めたのでしょう。
「広告はもうちょっといいや、な感じで。俺は元々、おでん屋だから。銀座のお多幸の血筋、おふくろの実家なんだよ。親父が板前でね。気仙沼まで、駆け落ちしちゃったの」
あのお多幸の! 永澤さんが気仙沼で生まれ育ったというお話にも興味津々ですが、一方の広告もういいや発言の真相は?
「別に俺、広告を卑下してるわけじゃなくて、広告は広告で役割があるし、好きな仕事だし、素晴らしい仕事だよ。でも、うっかりしやすい職業じゃん(笑)
だって広告屋なんて、ましてクリエイティブなんて、どんなにキャンペーン失敗したってさ、ギャラもらうじゃん。うまくいきませんでしたね、会社傾きそうですけど請求書出しますね、ってなるじゃない。人の金でやってなにがクリエイティブだっていう思いがあるわけよ。そういうのがアンバランスだってずっと思ってて」
広告業界の構造や社会的な立ち位置と、それに対する蓄積された違和感が、永澤さんを「自分の金で、地に足ついたなにかをやりたい」という意識へと向かわせたと言います。クライアントのサポートではなく、自分自身のアクションでできることは何か。そこで浮かんだのが、故郷、気仙沼でした。
気仙沼は、流された。故郷との向き合い方
生まれも育ちも三陸の気仙沼。少年時代を過ごしたその街を、永澤さんは「めちゃくちゃなんだよ、あそこ」と言います。一歩先は海。船を持つ漁師、市場の仲買人、それぞれむき出しの権力関係や血なまぐさい喧嘩が日常的に露見する、水産の街の記憶。青年になった永澤さんは、故郷を後にして東京で広告の仕事に没頭します。
2011 年に東日本大震災が起きたとき。4日後には車で被災地に入り、その惨状を目の当たりにしたという永澤さん。「家はもう一瞬で無くなった。親父とおふくろはたまたま生きててさ、まぁ偶然なんだけど」。この地のために何かできないかと起こした行動は、気仙沼市長との面会でした。
「震災3カ月後に会いに行ったんだけど、話が全然噛み合わなかったの。俺、たいていの人に合わないって言われるんだけど(笑)
すごい悲しい気持ちになって帰ってきたら、震災から1年ちょっと経った時に、市役所にいる女性から気仙沼のこれからのブランドのために何かをやってくれって言われて。
やだ、俺もう関わりたくないと。市長の考えは俺の思ってることと違いすぎるし、まして人の生き死にとかものすごい重要な課題なわけだからさ。軽はずみに入りたくないよ、って言ったの。
そしたら、彼女が“私はこの震災復興のために生まれてきました”だって。俺、仕事以外はNO と言わないようにしてるから、まあやるかってなって」
生まれて初めて自分で動画を編集しながら企画書を作り、街を撮影し、コンセプトムービーを作って市長に再び会いに行った永澤さん。
プレゼンテーションを凝縮した映像のキーワードは、『海が育てる人と町 世界臨海学校市 気仙沼』。気仙沼の水産業を軸にボトムアップを図り、海の恵み豊かなこの地に人々が行き来する情景が浮かぶようなその映像は、街全体の復興の方向性を示唆するものでした。
★映像はこちらからご覧いただけます
「その時思ったのはね、当たり前のことなんだけどさ、何もなくなったわけじゃない。だから、何かしなきゃいけないわけじゃない。そこにはとてつもない金が動くから、どうせ金を使うんだったら、将来人を呼べるようなアイデアや軸を盛り込んだ金の使い方をしたらいいと思ったわけ」
市長からの、プレゼンの反応は?
「全然、やっぱり噛み合わなくって(笑)でも、十五分しかないって言われた中で話して映像を見せたら、結局一時間いたんだよね。自分としては、気仙沼っていま理解されてんのはどうしたって魚だし、従事してる人だって魚関係が多い。まして俺んちなんて魚関係じゃなかったけど、海とか水産に対する親和性ってものすごく高い。だから、水産業を軸にして、他の産業にも経済や文化的に波及させていくということをずっと話して。もちろん市長には彼なりの都合や正しさがあって、防潮堤の高さどうすんだとか、すごいリアルなことも課題なわけだから」
変わってしまった故郷の復興について議論しながら、気仙沼の水産業へのアイデンティティーを見出した永澤さんは、新たな行動を起こします。
「まぐろの目玉」の誕生
2016年に、日本トップクラスの魚市場を有する気仙沼の、水産業界で働くの友人たちの協力を得て、三陸気仙沼の魚市場に直結したネットショップと首都圏飲食店への卸を行う魚屋さん「まぐろの目玉」を立ち上げたのです。
コンセプトに掲げたのは「三陸気仙沼の美味と希少味、知らなかったおいしい世界を提案」。
通常、冷凍モノであるまぐろなども「生」にこだわり、たとえば大間の本まぐろでいちばん美味しいと言われる頭部を7部位にさばいて提供するダイナミックな商品を開発。部位ごとに、食感も味も異なるおいしさで「滅多に食べられない!」と、話題沸騰中だそう。
さらに、地元気仙沼で愛される希少な魚の希少部位も積極的に仕入れ、いまなら採算度外視の豪華すぎるオマケつき(タコ丸ごと一匹とか……)
「俺、べつに気仙沼の復興を一番の目的にしてやってるわけじゃないんだよ。でも、気仙沼が持っている、もっと伝わったら良いってことを表に出すことで、街にとっていいことがあるんじゃないかなとは思ってる。震災の個人的なリベンジ意識を出発点に、気仙沼の底力のアピールにつなげていきたいし、ちょっとでも自分の金と手を使ってつっこんだって気がするんだよね。自分の手でなんかやったな、って思いを持ちたかったのかもね」
自らの意思で動かし、自分が全てを担う仕事。水揚げ状況などに仕入れも価格も大きく左右される鮮魚のビジネスを、「翻弄されながらもアイデアを駆使して、前向きに楽しんでいく」と見据える永澤さんがはじめた魚屋さんは、そのあり方も内容もクリエイティブで、「微細がいっぱい」なのでした。
>>後編では、うわさのお魚をいただきながら永澤ワールドに迫ります!
(撮影:木内和美)
プロフィール:永澤 仁(ながさわ ひとし)さん
クリエイティブディレクター/コピーライター
宮城県気仙沼市出身。プランニング会社「海の家」主宰。「まぐろの目玉」店主。
セブン-イレブン(忌野清志郎さんが歌うブランドの根幹を担う「近くて便利」コミュニーケーション)、バイク王(雨上がり決死隊バージョン)、キリン氷結(発売から6年間)、シチズン(広告&商品開発)など数々のクリエイティブを責任者として手がけ、そのすべてをジャンプアップさせた実績を持つ。競合プレゼンでは独創的なスタイルで3年半無敗を記録。受賞歴は国内外100 以上。強い、正しい、面白い! 国も地域も企業も商品もお店も人も、めざすゆたかな高みへ。
昨年11月、地元気仙沼の底力もアピールしたいと、魚市場直結の「まぐろの目玉」をスタート! 日本初のまぐろセットなど、生にこだわり気仙沼ならではの美味と希少味で話題に。
●まぐろの目玉
公式サイト
Facebookページ
mazecoze研究所代表
手話通訳士
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行う。
人材教育の会社で障害者雇用促進、ユニバーサルデザインなどの研修企画・講師・書籍編集に携わった後に独立。現在多様性×芸術文化・食・情報・人材開発・テクノロジーなど様々なプロジェクトに参画&推進中。