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嘘をつかないものが近くにある。そんな暮らしは安心します。

明石 誠一 │ 2021.07.07

「私は嘘しか申しません」元文化庁長官で臨床心理学者の河合隼雄先生は心理学が専門で、苦しんでいる患者さんをどうやって助けてあげるかというお仕事をされていて、河合さんが深刻な相談にのる時にはまずそう言うそうです。
ある講演会で養老孟司さんがそんなお話しをされていました。「河合さんが端から嘘ついているからそれでいいように思うけど、本当のことを述べているので、嘘をついていることにならない。これを哲学では自己研究の矛盾という。自分のことについて論じると矛盾が発生してしまうこと」そんなお話をされていました。

養老さんのお話のテーマとは違うかもしれませんが、「私は嘘しか申しません」という言葉が、どこかで聞いた同じ法則に感じました。「嘘しか申さない」と言ったから、嘘を必ずつくわけですね。でも前もって、「嘘しか申さない」と言っているのに、本当に嘘をついているので、本当のことを言ってしまっていることになります。嘘つきではなくなってしまいました。でも嘘を申し上げているわけです。これはずっとグルグル続いてしまいます。止め処もない螺旋状態。そしてこれまでに、これと似たようなお話を二回、聞いたことがあります。

株式会社ナチュラルスピリットの代表今井さんに宇宙の真理とは? と質問したことがありました。その時の答えです。「一(いち)は多(た)で、多(た)は一(いち)」と仰っていました。私なりの解釈ですと、一つに見えるが実は様々なものでできている。バラバラに見えるけど一つであるそんな感じ。
例えば、人は一人ですが、腸内細菌や皮膚についた微生物など無数の生き物が住み着いてそれでようやく一人の人間となります。さらに地球は1つの太陽系の惑星ですが、その上にはいろんな生物が住んでいます。遠い宇宙の先から地球を見たら一つの星の光でしかありません。でもたくさんの生き物がいるわけですね。人も地球も同じ「一(いち)は多(た)で、多(た)は一(いち)」ですね。

もう一つのお話しは、就農する時から大変お世話になった故船津貞夫さんのお言葉です。
「世の中は無い物ねだりだからね」。世の中でこちらが正しいと思いきや、時が経つと振り子のように今度は逆に振れる。例えば農薬が出始めの頃はそれが真新しい新技術でした。農薬の無い時代はみんなオーガニックだったから、オーガニックが主流で、農薬栽培が少数派。オーガニックは今では希少価値が高く、お金持ちの買うものなんて言われていますね。昔と逆に振れています。オーガニックが主流になれば、また反対の動きに振れる時代がやって来るのかもしれません。ただ螺旋状に振れているので、これまでとはまた違う次元になっていると思います。「世の中無い物ねだりだ」ということですね。これが正しいというのがない状態。その時は正しいが、時の移ろいとともに正しいは変化していく。ここら辺が真理のように感じております。

いずれのお言葉も「とどまっていない状態」です。常に移動している、振り子のように揺れ動いている。一見、正しいかのように見えたが、視点を変えるとまた別の見え方をしてくる。正しいという一定の場所がない状態。揺れ動いている状態です。揺れは左右だけでなく前後、上下にも揺れます。前後、左右が同時に揺れると螺旋の動きになります。螺旋には右回りと、左回りがあります。おそらくこの二つがどうも、重要な気がします。遺伝子の形と似ていますね。

常に動いている状態を福岡伸一さんが「動的平衡」と言う本に書いています。常に動いているけど、同じ状態を保っている。止まっているかのように見えて、移動し続けている。そうやって考えてみると、「マイノリティ(少数派)とマジョリティ(大多数)」「正しいと間違っている」とかって、小さく見ると違いはある(動いて見える)んだけど、大きく見ると違いはない(止まって見える)んじゃないかなって思うんです。

身の回りには(自分も含めて)いろんなキャラクターの方がいるし、みんな違う。でも、外国人から日本人を見たらなんとなく同じ国民性で、ひとくくりで見られること、ありますよね。また、地球って近くで見ると凸凹しているのに、宇宙から見るときれいな球体に見えます。意識を今いる視点から、ずっと広く高いところから見てみると、大して違わないなぁと感じます。少し視点を高い位置から今起こっている自分を見下ろして見ると、たわいもないことで喧嘩したり、許せなかったりしていることに気がついて少し楽になれるかもしれません。

周りの人と違うのは当たり前、気の合わない人もいる、障害のある人もいる、みんな違う。だから自分は自分でいい。でも、自分を自分として定義するのは、周りも関係している。自分一人では定義できないですね。周りがあって、自分があるので。そして、自分がいて、周りがある。だから周りに自分を分かってもらうためにも、今の社会や人の価値観を学習する。それに対して自分をすり合わせる。だからこそ摩擦もある、違いもある、常にすこしずつ変化していく。時にはぶつかり合うこともある。分かり合おうとするからこそぶつかるのかもしれない。

内田樹さんが「この世に生まれたということは、サッカーの試合に途中参加してきたようなもの」と例えたそうです。今のルールや世の中の流れというのがあって、それにみんな適合しながら、生きていく。自分の思いとの葛藤というのはここから生まれてくるのかもしれません。自分はこう思うが、世の中はこうなっている。目指すべき方向と、現状のズレ。その摩擦は常にあって然りということです。

自分の正義を分かってもらおうと、力で詰め寄るのは良くありませんね。自分にされて嫌なことは人にはしない。これはどんなことがあっても、持ち続けたいルール。違っていてもいいんだから、相手を自分の思い通りに完全に理解させることはできない。だって、相手は自分じゃないんだから。でも思いを伝えることはできる。分かり合えることもできる。でも違ってもいいじゃん。ただし、その時自分にされたら嫌なことはしない。だって、結局みんな同じチームの一員だし。それぞれに担っているお役目がある。だから自分とは違う。自分には自分にできるお役目がある。あちらとこちらをつなぎ合わせる架け橋の仕事を、みんながそれぞれに繋ぎ合わせて、網の目のようにつながっている状態(ネットワーク)を作り出している。

みんな何かの間にいるんです。こちらとあちらをつなぐお役目がある。だからみんな何かと何かの間の矛盾にさいなまれている。自分が架け橋となりできることを続けていく。それが出来るのもあなたしかいません。そしてそれに協力してくれる人はたくさんいるはずです。なぜならみんな同じ思いでつながっているから。
嘘をつかない正直な自分と旅を続ける。
自分にしかできないものがあって、自分にしか繋げないものがある。自分の上下、左右、前後を繋げるのは自分以外にいないから。それは世界中みんなそうで、あなたの場所であなたらしく仕事してくれたら、世界中のつながりが喜びます。自分ができることをやっただけなのに、回りから喜ばれることが起きます。それが正直な自分でい続けることです。自分も嬉しい、みんなも嬉しいこと。正しい自分ではなく、正直な自分。

自分の体は思い通りに髪を伸ばしたり、爪を伸ばしたり、消化器官を動かすことは出来ないように自分の体なのに、自分の意識とは別の自然産物です。「体は正直」なんて言います。体は嘘をつかない。自然なものって嘘がない。
嘘がないもの、それを養老さんは「花鳥風月」と仰っていました。花であり、鳥であり、風であり、月だと。打ち寄せる波、見上げる夜空、水の流れ、石、砂、雲、街路樹、コンクリートの隙間から生えたメヒシバ。私たちの肉体も。

「私は嘘しか申しません」そして自然は嘘をつきません。
自分の腹の底の声に問いかけるように心がけています。答えは常に変化し続けながら、その都度自分自身が感じたことを信じるようにしています。それを邪魔をするのは自分が勝手に思い描いた恐怖。それは他人与えられたものではなくて、自分の頭が考えたものだと思います。自然の産物の自分自身を信じて、勇気を出して一歩踏み出すと、不思議と助けてくれる方が増えていくと思います。

そして自分自身を自然な状態に戻してくれるのが、「花鳥風月」なんだと思います。普段の暮らしの中で風に吹かれて、光と温度を感じて、匂いを嗅いで、鳥がさえずり、草がこすれる音を聞きながら、稲穂を揺らす風を見る。そんな自然からの恵をいただくと、自分は様々な自然の命でできていと実感する。「一が多で、多が一」という実感。その世界には嘘がない。そんな礎がある暮らしは、安心できる。

自然はごちゃ混ぜで一つ。一つだけどごちゃ混ぜ。

みんなそのままでいい。だから頭に来た時にこそ、違って当たり前を思い出して、許すこと。許すことが違いを認め合う唯一の方法だと思います。それができたら素敵ですね。日々精進です。

研究員プロフィール:明石 誠一

明石農園代表
タネは固定種で農薬、肥料を使わない生物多様性を活かした自然栽培農家。農業サイドから福祉やコミュニティ作りを行なっている。
畑や林でのイベント主催、農業指導、共著書籍も出版。明石農園が舞台となるドキュメンタリー映画「お百姓さんになりたい」も2019年より全国で上映されている。
林の演奏会や家庭菜園をコミュニティの場としてさらに拡大中。大学までサッカーに夢中。美術好き。3児の父親で、晩酌が楽しみ。お休みは家族でキャンプ。
あかし野菜

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