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地球の反対側でUD探究者は見た! ウルグアイで手話を学んだら、ウルグアイの文化が見えてきた|水野 映子さん

mazecoze研究所 │ 2023.04.28
手話講座の建物に貼ってあったアルファベットの指文字

超マイナー言語 ウルグアイ手話を学ぶ

ウルグアイでの生活が2年目に入った頃、手話講座に通い始めました。そう、スペイン語の習得に苦戦しつつも、さらにもう一つの言語、超マイナー言語ともいえる、ウルグアイ手話を学ぶことにしたのです。

私はウルグアイに来るずっと前から日本の手話を学んでいました。手話は世界共通だと思われがちですが、そうではありません。ウルグアイ手話と日本手話は全く違います。
それに、音声言語(一般に話されている言語)が同じ国でも、手話が異なることもあります。たとえば、同じ英語圏でもアメリカ手話とイギリス手話は違います。ウルグアイ手話も、スペイン語圏の他の国、例えばスペインや隣国アルゼンチンの手話とも違うのだそうです。

だから私がウルグアイ手話を身につけたところでウルグアイ以外の国で使うことはまずありえません。しかも、全人口が少ないウルグアイ国内で、手話を使うろう者(聞こえない人)の人口はさらにわずか。それでもウルグアイ手話を学びたいと思ったのは、それがどんなものなのか、またウルグアイのろう者や手話の学習者がどんな人たちなのかにも興味があったから。

ウルグアイ生活の1年目は職場の人としかほとんど付き合いがなかったので、2年目は別の世界の人とも接したいという気持ちもあり、帰国直前までおよそ1年間、手話講座を受講しました。
結果として、この講座を通じて、ウルグアイ手話だけでなく、その背景にあるウルグアイ文化をも知ることとなったのです。

手話講座を通じて知るオープンな文化

夏に手話講座をおこなった場所。開始時刻になっても誰もいないのはお約束。

日本の多くの手話講座と同じく、ウルグアイの手話講座でも、まずは名前や家族構成などの自己紹介、地名や衣食住など、身近な単語や会話の学習から始まります。
家族がテーマだったときも、「父」「母」「息子」「娘」などの単語を覚え、自分の家族を説明するところまでは日本とさほど変わらなかったのですが、それを使った会話の内容は日本とはかなり違いました。
驚いたのは、まず先生が「両親はいま一緒にいるか(つまり、離婚していないか)」と何のためらいもなく聞き、生徒もみなためらいなく答えたこと。さらには、ざっと見て8割くらいの生徒は「離婚した」と言ったこと。離婚率が多いとは聞いていましたが、そんなに多いとは!

家族構成だけでなく、家族の職業、年齢なども包み隠さず話します。別の回で数字を習ったときは、自分の生年月日や電話番号(架空でなく本物!)を表す練習もしました。日本だったら隠すような個人情報でもオープンにするこの国の文化を感じました。

未知の国ニッポンも紹介?

驚いたことはまだあります。
私が手話できょうだいの紹介をしたときに「日本では子どもの数に制限はないの?」と他の生徒に聞かれたのです。どうやら、かつて中国にあった「一人っ子政策」が、日本や韓国にもあったと思っていたようです。

国名の手話を習ったときは、「日本とニュージーランドは近いよね?」とも言われました。「すごく遠いよ」と答えたら「地図で見ると近いんだけどなあ」だって。
考えてみたら、日本人がウルグアイとパラグアイを混同したり、中米と南米を一緒くたにしたりするのと大差ないのかもしれません。中米のメキシコの北部と南米のウルグアイだって、ざっくり言えば日本とニュージーランドくらい遠いんですから。

この手話講座、私にとってはウルグアイを知る良い機会でしたが、ウルグアイ人にとっても日本のことを知る機会になっていたのかも?

手話で広がった私の世界

手話講座の修了式が行われた体育館。こんなに受講生がいたのかとびっくり。

手話講座の教室以外でも、手話関係のイベントなどでウルグアイ人のろう者や手話を学習している聴者(聞こえる人)に出会う機会がありました。
ほとんどが知らない人ばかり、しかもみなウルグアイ手話で話していましたが、私を見ると「あなた、ろう者? 聴者? 日本人?」などと気軽に話しかけてくれました。

また、街中でも手話を使っているろう者に何度か遭遇しました。そのときはこちらから思い切って声をかけ、つたない手話や身ぶり手ぶりや筆談でコミュニケーションを。隣国アルゼンチンから来ていた見知らぬろう者の観光案内をしたこともあります。いま思うと我ながら大胆不敵。

でも、手話で話すときはふだんの音声スペイン語での会話にはない開放感があるのです。
それはおそらく、音声スペイン語だとうまく話せない自分に何となく引け目があるけれど、ウルグアイ手話なら流暢でなくて当たり前、という意識があるから。また、聴者とのコミュニケーションに苦労することもあるだろうウルグアイ人ろう者なら、スペイン語もウルグアイ手話も十分できない私の気持ちをわかってくれるかもしれない、という安心感もどこかにあったかもしれません。いずれにしても、片言ながらウルグアイ手話でいろいろな人とコミュニケーションできたことは、楽しく刺激的な体験でした。

私は日本で手話を使う人々と出会い、手話を学んだおかげで、自分の視野が広がりました。同じように、ウルグアイ手話を学んだ1年間にも、さまざまな発見がありました。また、聴者・ろう者を問わずオープンマインドのウルグアイ人に出会ったことで、日本人の私の心もオープンになれた気がします。
帰国から3年以上が過ぎて、ウルグアイ手話自体はかなり忘れてしまいましたが、手話を通して得たものは今も私の頭と心と手の中に残っています。

水野映子さんプロフィール

愛知県名古屋市出身。20数年間、都内の民間企業の研究所に勤務し、UD(ユニバーサルデザイン)に関する調査研究等に従事するとともに、UDを推進するボランティア活動にもかかわる。2018年1月~2020年1月の2年間は休職し、ウルグアイに滞在。最近は、大学の非常勤講師も務め、UDをテーマに講義を担当。

〈水野さんの記事〉
>mazecoze研究所地球の反対側でUD探究者は見た!
01:南米ウルグアイ人と日本人に関する仮説
02:ウルグアイで手話を学んだら、ウルグアイの文化が見えてきた
03:摩訶不思議なスペイン語と日本語

>ウルグアイ滞在中・帰国直後に執筆した「ウルグアイ通信」
(1)「遠くて遠い」国にやって来て
(2)市民の足にみるバリアフリー
(3)コミュニケーションの壁 ~聴覚に障害のある人との類似点・相違点
(4)訪日外国人観光客に向けた多言語表記に望むこと
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