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MAZECOZE研究所をご覧のみなさん、大変ご無沙汰しております。ぐろです。
2020年2月のまぜアングル冒頭にちらっと書いたのですが、今年2021年7月10日に、東京2020大会のオリンピック聖火リレーに参加いたしました。そうです、聖火ランナーです!(えっへん)
ランナーって言ったってあなた、自力で走れないじゃん? とお思いの方、違いますよぉ。日本では「聖火ランナー」と言われますけど、正式には「Torchbearer=トーチを運ぶ人」ですから、車いすでもトーチを持って次に繋げたら大丈夫なのです。

そもそも何故ランナーをやりたいと思ったかと言いますと、さかのぼること2013年。2回目のオリパラ招致活動が活発になる中、新潟病院の中島孝先生が、筑波大学山海先生が開発したロボットスーツHALを、私(筋ジストロフィー)のような難治性筋疾患のリハビリに保険適応できるようにするための治験を行っていました。その説明会に参加した私は質疑タイムに
 「これを付けて聖火リレー走れますか?」
と能天気に質問したのです。恐らく私の、こういうことに掛ける執着の強さを知る赤めがね(夫)以外は、何言ってるのこの人?だったと思います(HALはトレーニング用であり歩行器機ではないので、そんなこと無理ということは分かっていたのですが)。おまけにその後、招致に関わっている某代理店の人から「オリンピアンか、公式スポンサーか、都知事にならなきゃ無理」とハードルの高すぎることを言われても、「うーん、金額的には都知事ならどうにか……(ないのは人望か)」と、割とマジで考え巡らせておりました。

湘南ロボケアセンターでのトレーニングの様子。
この日は応援幕と共に聖火ランナー仕様

ダメと言われるとやりたくなるお子様気質な私ですから、このようなやりとりを経て、聖火ランナーになることは「何となく言ってみた」から「有言実行すべき夢」に格上げされたのです。

その後、東京は見事開催都市として指名され、私は心の中で「聖火ランナーの募集を見落とすべからず」とメラメラ闘志(笑)を燃やしていました。そして2019年春。聖火リレーの概要が発表されました。
リレーは福島県Jヴィレッジからスタートし、4か月をかけて全国47都道府県の名所を回りながら最後に国立競技場に到着するという壮大な計画で、ランナーは各都道府県からとプレゼンティングパートナー4社から選ばれるという内容。早速自治体枠と各スポンサー枠の応募要項を確認し、締め切りの8月末までそれぞれのテーマに沿った応募文をじっくり推敲するつもりでいたのですが。

その頃、しばらく前よりガンで闘病していた義母に転移が認められ、余命宣告を受けることになったのです。
これは家族にとってはまさに青天の霹靂な出来事。手の施しようがないと言われ、信じたくない思いや怒りや色々な気持ちを抑えながら、せめて最期は自宅で少しでも長く穏やかに暮らせるよう、週末は新潟に行き話し合いを進めていたのが2019年の8月でした。
当然聖火リレーと浮かれる気分でもなく、気が付いたらもう締め切り2日前。とても迷いましたが、もし選ばれたらお義母さんも喜んでくれるだろう、リレーを見ることを生きる目標にしてもらえるだろうと。きっとそうやって私は現実逃避したかったんだと、今は思います。
そして2週間後義母は旅立ちました。
親孝行らしいことひとつさせて貰えないままに。

何もできなかった虚しさを抱えながら秋は過ぎてゆき、選考の過程も分からないまま冬が来ました。
その頃にはすっかり日常を取り戻し、12月23日は毎年訪れるレストランで赤めがねと共にX’masディナーと洒落込みました。それは普段口にすることもない3大珍味や諸々が贅沢に使われた素晴らしいディナーでしたが……根っから庶民の私の体はそれにビックリしてしまったようで。明け方から具合悪くなり、以後絶食のままクリスマスを迎えることになってしまいました。
25日夜、やっと何か口にできそうな感じになったので、よれよれのまま寝床を出て、ついでにメールチェックをしたら。

キターーーーーーッ!選出通知!!!
クリスマスの日に合わせて合格通知を送るなんて、組織委員会、惚れてしまうやないか!
また今回私をランナーにご推挙いただいたプレゼンティングパートナーのNTTからはX’masプレゼントとして、本来ランナー自身が購入するトーチ(約7万ちょい……高い)を走行後プレゼントするというメールも届いていました。やったね!
PCの前で願いが叶った喜びを炸裂させている私の横で、赤めがねが一言。「だから通るって言っただろう?」。なんかそれ、エログロの時も言ってなかったっけ……。
こうして起伏が激しすぎた2019年後半は、最後に大爆上げの波で終了いたしました。

そうして運命の2020年です。世界中が未知のウィルスの猛威に襲われ、様々な行事や約束事はキャンセルされ、人々の繋がりは断ち切られ、ゴールの見えない戦いに巻き込まれていきました。
聖火リレーはJヴィレッジから出発する直前に中止が決定され、大会も1年延期になったのはご存じの通りです。そんな中またもうひとつの別れがありました。今度は実母です。

私は元々自分が聖火リレーに参加することで多様性を体現したいと考えていましたけど、リレーを見せたかった二人が相次いで亡くしたことで、聖火を繋ぐことに新たな意味が生まれたように思います。それは二人への弔いでもあり、この殺伐とした一年の中で願った小さな祈り……繋いだ火の先に、ほんの一瞬でもいいから、人々の心が1つになるような瞬間があって欲しいと。
聖火リレーに関するご批判は沢山目に留めており、そう見られていることを戒めとしているところですが。一方でランナー一人ひとりに選ばれるに相応しいストーリーがあり、それぞれが思いを込めて聖火を運んでいたことは忘れて欲しくありません。

2021年3月25日、ようやく聖火はJヴィレッジを出発しました。
私はやっとこの日が来たことの喜びと、収まらない感染拡大を考えると、果たして私がアサインされている7月10日、東京都日野市まで繋がるかという不安が綯い交ぜな気持ちで中継を見ていました。
感染拡大については不安が的中し、今回のリレーで半分ほどは公道走行が出来ない事態となりましたけど、4月以降公道を中止したいくつかの自治体で、無観客でのセレモニーといった代替案でリレーが継続されたことを見て、やっと「聖火を繋げる……!」という実感が湧いてきました。

安心した私がまず最初にやったこと。

この時ほど自分の足が小さいことに感謝したことはない!

取りあえずテンション上げる為に、カッコいいシューズを買いました!
聖火ランナーにはユニフォームの着用規定が結構細かく決まっていまして。自走しなくとも運動靴を履かないといけない&色は白系で公式スポンサーのA社製品を推奨となっています。
(ブランドロゴについては本当に厳しくて、他社製品のロゴはテープで隠されることも)
因みにこれはA社のオフィシャル製品ですが、実はキッズ用の靴です。こちら24cmまでのサイズ展開で大人用の1/4価格という、形だけ取り繕えればいいという私にとっては、奇跡のシューズでした。

これで勢いがついたので、次はスポンサーから届いた応援幕に寄せ書きを貰うツアーに。
こちらも規定で、居住地と同都道府県内のランナーはPCRは免除されるものの、本番2週間前から健康観察期間になり、会食禁止や不特定多数な接触を控えるよう指導されています。その為、実質1か月ぐらいしか貰い歩くことが出来なかったのですが。

コロナ下で会うこと叶わなかった患者会関係の分はロゴをアイロンシールに。

これだけの寄せ書きをいただけまして。
この応援幕、当日の中継でも最後にアップで映り、書いていただいた皆様への恩に報えたところです。公道中止になり直接走る姿を見ていただくことはかないませんでしたが、みんなと一緒にこの日を迎えた気分になれた寄せ書き。本当にありがとうございました!

個人でする準備はこんな感じでしたが、もうひとつ解決しなければならない問題がありました。
それはトーチをどのように持つかという、基本的すぎる大問題です。何といっても私の病気は顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー。コロナワクチン以前に元々腕を挙げる筋肉がほぼない状態です。いくら今回のトーチが五輪大会最軽量(1.2kg)と言われても難しく。
組織委員会側ではこのようなランナーの為に車いすに取り付けるアタッチメントと、肩に取り付けるアタッチメントの2つを用意してありましたけど、残念ながら私の車いすは特殊形状なので、足の横に取り付け可能なフレームがないのです。
これをどう解決するかについて、前年リレーが中止される前まではプロダクト担当の方と直接やり取りしていたものの。その時に検討していた、車いす側にアタッチメント取り付け用の棒をつけるという案が認められないことを、5月末の事務方との打ち合わせで知らされ(マジか!)。
そうなると自分の肩が重みに耐えられるか不安はあるものの、アタッチメントを含めると計2kgのショルダータイプ、もしくはもっと不安だけれど介助者として共に走る赤めがねと一緒に持つ(爆)、のどちらかしかないわけです。仕方ありません。

覚悟を決め、リレー本番まで赤めがねと喧嘩しないよう(笑)心がけていた6月中旬。再びオンラインでの打ち合わせの要請がきました。
曰く私の体調や病状などについて、介助者や主治医も交えてお話を伺いたい……ええっ?
ちょっと待ってください!私は自分の病気の事を応募文にも書いているし、ここまでそれを前提としての打ち合わせも済んでいます。何よりも自分が聖火リレーは出来ると確信している状況で、今更病気の話をしなければいけない理由が分からないのですがぁ、はぁ。
落ち込みながらまず主治医に連絡を取ったところ、いつも冷静沈着なM先生はこうおっしゃいましいた。
「打ち合わせはいいのですが、オンラインですと診療に当たると思うんですよね。質問を文書にして回答するという形ではダメですか?」
そっ、そ、そうですよねー。なんでこんなプライベートなことにまで立ち入られないといけないかって話ですよね!なんか味方を得たような気分になり、そのまま先方に伝えたら、部署で検討しますとのこと。しかしこの件に関してはその後触れられないまま、再打ち合わせの当日になりました。

打ち合わせ自体はやって大変良かったです。何故なら今回の打ち合わせ相手は、当日現場を仕切るフライングパーソン、その服装の色から聖火ランナーたちが「グレーマン」と呼んで頼りにする、福島のスタートから聖火リレーを支え続けてきたキーパーソンとも言えるスタッフだったからです。

当日もチェックインしてから帰るまで、常にかいがいしくお世話いただきました。感謝。

その仕事は多岐にわたり、ランナーの伴走、トーチの管理、オリエンテーション、その他進行の管理だけでなく、現場でランナーが体調を崩したり緊張せずにリレーを行えるよう、ありとあらゆる気遣いをしてくれる有能なコンシェルジュといった風。(まさか本番前に会えるとは!)
打ち合わせの内容は、当日の流れで身体的にキツイところはあるかのチェック、そしてトーチの持ち方についてです。グレーマン的にもショルダータイプは大丈夫なのか、心配があったようで。車いすの構造を吟味した結果、車いす用アタッチメントを取り付けられそうな場所を見つけてくれました!さすがだ。
あとはグレーマンも言ってくれたように、当日を思いっきり楽しむだけ!

そして迎えた7月10日。前日までの雨も止み、晴天の夏空の元、本番を迎えました。
「ぐろさん、持ってるねぇ~」と口々に言われましたけど、多分これは上から見ている二人の母たちが、一瞬も見落としたくなくて晴れさせたのだと感じています。(それにしても暑過ぎだったけどね)
東京はまん延防止法適用だったため、本来の公道200m走行から4mだけ歩いてトーチキスをするセレモニーに変更されましたが。4mだけなら二人で息を合わせるられる!と、結局トーチは二人で持つことに。私たちにとってはこれで良かったと思います。

二人でトーチに聖火を灯してからのぉ・・・

トーチキスのポーズ!どやっ(笑)!!!

まあ、ホントの事を言うと、集合場所で一人はしゃぎ過ぎて悪目立ちしてたり、やっぱり短パンが太腿ムチムチでヤバかったり、会場周辺の渋滞に巻き込まれて家族が到着するのがマジぎりぎりだったり、セレモニーの定位置にスタンバイした途端う〇こしたくなったりという波乱はありました、ええ。(一番まずいのは最後ですかね。それを口にした途端、みるみる曇る赤めがねの表情。)
でも結婚20周年目の年に、二人で聖火を繋ぐなんてメモリアルなこと出来たんだから、これ以上望むことはないでしょう、うん。

あっ、まだあった。走行後インタビューで、最初のNHKで感極まって泣いちゃったせいでテンぱった私は、次の民放取材に「今年で20周年」を「今日で20周年」と言い間違えたんだ!そのせいで赤めがねまで感想を聞かれる羽目に(白目)……。いやー、そういうこともあるよね。ははは……。

私が火を灯したトーチはセレモニー終了後持ち帰り、地元の友人たちや地域の福祉事業所、筋ジスで長年お世話になっている病院へと、色々な方々に触り見て貰い、喜んでいただけているようです。

近隣の福祉事業所を訪問した時の様子。
トーチを持って見せる利用者さんたちの笑顔が本当に素敵でした。

今、この原稿を書いている日に、いよいよ最終ランナーが国立競技場の聖火台に上ります。
全国一万人のランナーが繋いだ聖火が、今度は世界中から集うアスリートたちを照らす火になると思うと、まさに万感胸にせまる思いです。この舞台に立つ全ての選手たちが、悔いなく競技を終えられますよう、心からの応援と祈りを送りたいです。

最後にコラムを〆るに当たり、もう1つ言いたいこと。それは今大会のコンセプトの1つでもある「多様性と調和」についてです。
開閉会式ではこれに相応しいか否かで物議を醸しましたが、少なくとも聖火リレーでは、全国で私も含めあらゆるマイノリティ側の当事者が皆等しい立場で聖火を繋いできました。この前回64年では想像もつかなかった大きな変化を、社会を構成する人々みんなが誇りに思うべきだと考えます。
自国開催なのにほぼ無観客という寂しい大会ですけど、それでも自分たちが成し遂げたことの意味を大切に、記憶に留めておいて欲しいです。そして更なる共生社会へ、共に進もう!

では、また!

P.S.
当日の様子は下記リンクから動画をご覧になれます。

セレモニー(写真をクリックしてください)

インタビュー 7月10日日野市

研究員プロフィール:ぐろ

歯学博士、共用品ネットM&Cプロジェクト元リーダー、お笑い芸人
歯学部最終学年に顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーであることが判明。
大学院を卒業した後、ユニバーサルデザイン系ボランティア団体共用品ネットにて視覚障害者に向けた触覚識別方法を提案するプロジェクトにリーダーを務める。その間、カードの触覚識別方式TIMのISO規格化(ISO/IEC 7811-9)に携わる。
近年は同病の仲間とお笑いコンビ「エログロナンセンス」を結成。ネタ担当。バリバラ(Eテレ)に数度出演。東京生まれ東京育ちの酒をこよなく愛するアラフィフ。

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