第1回:知ってるようで知らない… 発達障害者ってどんな人?
第2回:あるときは鬼才、あるときはうっかりさん。発達障害の過集中・注意散漫って?
第3回:みんなと違う世界に生きている… 発達障害者の感覚過敏・感覚鈍麻って?
第4回:発達障害者が生きる環境は昔と比べてどうなった? 障害と社会の狭間で考える!
ここ数年、発達障害についての社会的認知は爆発的に広がってきました。こういった環境の中で、発達障害者の生活はどのように変わったのでしょうか? また、障害のあるなしに関わらず、みんなが生きやすい社会の実現のためにはどんなことが必要なのでしょうか? 高機能自閉症を持つ発達障害当事者の宇樹が、自分なりに考えてみたことをお伝えします。
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ここ数年、発達障害についての社会的認知は爆発的に広がってきました。こういった環境の中で、発達障害者の生活はどのように変わったのでしょうか? また、障害のあるなしに関わらず、みんなが生きやすい社会の実現のためにはどんなことが必要なのでしょうか? 高機能自閉症を持つ発達障害当事者の宇樹が、自分なりに考えてみたことをお伝えします。
目次
発達障害者は、今も昔も生きづらい…
最初から暗い話になりますが、当事者たちの歴史を振り返るに、「発達障害者は昔も今も、質は違うもののやはり生きづらいんだなー」と実感します。意外と発達障害者に寛容な面もあった昔
昔、特に戦前ぐらいの頃は、障害者に対するひどい差別語が普通に流通していたようです。どの障害についても現在のような知識が普及していなかったため、必要以上に恐怖や恥の対象とされ、一生社会から隠されて生きざるをえなかった障害者もいました。 ただし、今であれば発達障害の診断が出そうなタイプの人たちも、侮蔑されたりなんだかんだ言われたりしながらも、その実比較的おおらかに受け入れられていたような様子もあります。 昔は一芸に秀でていることが強みとなる、いわゆる職人的な仕事も豊富にありました。食えない芸術家タイプ・研究者タイプの若者を居候させるパトロンのようなお金持ちもいました。結果的に、今なら発達障害と呼ばれて困窮生活に陥るようなタイプの人も、こうした社会の中の余白、余裕の部分に抱き込まれて生きていけていた部分もあったようです。認知は広まりつつあるけど、やっぱり生きづらい今
2010年代に入って以降、発達障害についての社会的認知は着実に広まっています。特に2017年に入ってからはNHKが発達障害についての特集を組むなど、「発達障害という言葉を一度も聞いたことがない」という人はどんどん減っているように思われます。これは確かに大きな前進であり、発達障害者である私にとって喜ばしいことです。 しかし一方で、日本社会はじわじわと経済的に追い詰められていっています。今や、かつて栄華を極めた大手の会社でさえ経営に汲々としています。「いい大学に入っていい会社に入れば一生安泰」という、単純なライフコースはもう過去のものとなりました。 このように、今はかつてのお金持ちやいわゆる普通の人たちでさえ生きづらい時代。発達障害者も生きづらい毎日を送っています。あらゆる仕事に「コミュニケーション能力」が求められるようになった結果、コミュニケーション障害を持つ発達障害者が侮蔑や排除の対象となることも出てきました。 今は、昔の日本社会に存在していたような余白、余裕のようなものがどんどん目減りしていっていて、「みんなが生きづらい時代」と言えるのかもしれません。「障害としての認知が広がる」ことには、怖さを感じる
さて、あなたは、「いままで障害として認知されていなかったものが障害として認知されるのは素晴らしいことだ」と思いますか? 確かに、これは素晴らしいことです。私も日々、いまの社会の中での生活が楽になっていくのを感じています。しかし実は私には、発達障害の障害としての認知の広がりを、手放しでは喜べない事情があるのです。「空気を読まない人」の存在も許される社会であってほしい
たとえば、「発達障害者の『空気が読めない』ところは障害だから、薬を投与して空気を読めるように治療しよう(※)。国として、すべての発達障害者に無料でこの治療を受けさせよう」という意見を見かけたら、あなたはどう感じるでしょうか? 正直に言うと、私にはこういった意見に一抹の恐怖を感じます。 私自身、生活上で「空気が読めない」ことにとても苦しんでいます。もし、私自身がこのつらさから解放されるのなら、私は治療を受けるでしょう。同じような選択をする当事者はけっこう多いかもしれません。 ただ、これは私の個人的な選択にすぎません。生きづらさを背負ってでも、人間として自分らしいありかたで生きていくことを選びたい 空気を読まないコミュニケーションを独自の文化として伝えていきたいこんな考えを持つ当事者はいると思うのです。そして私は、そういう人をカッコいいと感じ、そういう人にこの世に存在しつづけていてほしいと願います。 だって、空気を読まないコミュニケーションも、それを解する人と共有できたとき、私はとても幸せだから。場によっては、空気を読まないコミュニケーションのほうが適していることもあるとも思います。
障害者にも、生き方を自分で選ぶ権利がある
私は、発達障害について次のように考えています。発達障害者といわゆる健常者では、単にコミュニケーションの方法が「違う」だけ。しかし、空気を読む人の数が読まない人の数よりも圧倒的に多い。このため、空気を読まない人が生活の中で不便≒障害を感じたり、結果的に発達障害者と呼ばれたりするだけ。日本国憲法には、基本的人権の尊重が明記されています。基本的人権には、「自分で自由に生き方を選択する」要素も含まれます(自由権)。私は、どんな障害者であれ、たまたま今の社会状況の中で障害者と定義されているという理由だけで、他人から「良い・幸せな・正しい生き方」を決められていいとは思いません。 だから、発達障害が障害として認知されていっている今の状況には、私は常に少しの恐怖心を忘れないようにしながら接していきたいと思っています。 ※実際に、発達障害者のコミュニケーション障害を目指す投薬治療についての研究は進んできています。共同発表:自閉症の新たな治療につながる可能性~世界初 オキシトシン点鼻剤による対人コミュニケーション障害の改善を実証~ ※障害が社会によって生み出されると捉える考え方を「障害の社会モデル」と言います。こちらの拙記事では社会モデルの系譜で発達障害について語っています。「障害」は治らないから障害なのだ ―障害者たちは救われるのか?
「社会の余裕」を取り戻すために手を取り合おう
発達障害の今昔について振り返ってみてつくづく思うのは、「社会には人々の多様性を包み込めるような余裕が必要なのではないか」ということです。弱者を攻撃する人も苦しみながら生きているのでは?
今、世間には、弱者やマイノリティを攻撃するような発言をする人が増えてきているように思えます。たとえば…最近の若者には苦労が足りない。 生活保護受給者は甘えている。 発達障害者は配慮してもらってずるい。空気を読まない、社会のお荷物。私はSNSなどでもっといろいろな発言を目にしますが、つらいのでこれぐらいにしておきます。 こういう発言をする人も、窮屈になってしまったこの社会に生きることにとても苦しんでいるのではないかと、私は想像するのです。公的に弱者と認められた人たちが配慮されるたび、刻一刻と自分がないがしろにされていくように感じて、いてもたっていられない… 私がそんなふうに感じる側だった可能性も十分にあります。
手を取り合い、違いを受け入れあえる社会を
できる人だけでいい、互いの間の壁を取り払い、手を取り合っていきませんか? 苦しむ人たちどうしで「お前は敵だ」と首を締めあって死にゆこうとしているような社会システムを、クルッとひっくり返していく。障害のある人もない人もみんなが人らしく働き、生きることができるようなシステムを作っていく。そうすれば社会には多様性を包み込む余裕ができ、現在分断されている人たちをも繋ぎあわせる力が生まれてくるでしょう。 最も的確なアプローチは、最低賃金のアップ? それとも、長時間労働の撤廃でしょうか? 私ひとりの力では正解を見つけることもできないし、社会を変えることもできません。また、これはとても困難な道となるでしょう。どうか、みなさんも一緒に根気よく考え、行動していってくだされば嬉しいです。宇樹 義子(そらき よしこ)
フリーライター。成人発達障害(高機能自閉症)の当事者。30代後半。 30を過ぎて発達障害が発覚。その後、自分に合った生き方・働き方を求めて在宅のフリーランスとしてのキャリアをスタート。翻訳者を経てライターへ。 現在打ち込んでいる趣味はフラダンス。動物がヨダレが出るほど好き。 ライターの仕事のかたわら、個人ブログ「decinormal」を運営。自身の経験をもとに、発達障害者や悩みを抱えた人に向けて発信中。 decinormal - 成人発達障害当事者のブログ研究員プロフィール:宇樹 義子
発達障害当事者ライター
高機能自閉症と複雑性PTSDを抱える。大学入学後、10年ほど実家にひきこもりがちに。30歳で発達障害を自覚するも、心身の調子が悪すぎて支援を求める力も出なかった。追いつめられたところで、幸運にも現在の夫に助け出される。その後発達障害の診断を受け、さまざまな支援を受けながら回復。在宅でライター活動を開始。
著書に『発達系女子 の明るい人生計画 ―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました』がある。その他、発達障害やメンタルヘルスをテーマとした雑誌などに寄稿。精神医学などについての勉強を重ねつつ、LITALICO仕事ナビなどの福祉系メディアでも活動している。
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