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世界が注目する教育哲学「レッジョ・エミリア・アプローチ」の読み語りイベントが世田谷にやってくる!(2/3)

mazecoze研究所 │ 2018.07.31

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レッジョ・エミリア・アプローチの歴史や精神性を伺った前回。教育を中心に考えた街づくり、そして贈り物を循環させるという精神。 教育や街づくりの根本について考えさせられました。

今回はレッジョ・エミリア・アプローチのいう、子どもたちが持つ「言葉」ってなに? なぜ「物語」や「お話」を大切にするの? という部分を掘り下げることで、このアプローチの本質を探っていきます。

子どもたちの表現することすべてが「言葉」であり、「物語」に根付いている

編集部:なぜレッジョナラで題材にするのが「物語」や「お話」なんですか。


竹丸さん:元々図書館での読み聞かせからこのイベントが始まったっていうのもあります。でももっと根本的に、レッジョ・エミリア・アプローチって美術やアートのイメージが強いんですけれど現地ではそれだけではなくて、お話、演劇、映像、そして空間、本当に「全部」なんです。
自分で表現していく時に一番根っこの部分に「物語性」がある。その上にアプローチとしていろんな表現が存在する。

ローリス・マラグッツィの「子供達は百の言葉を持っている」という有名な言葉や、ジャンニ・ロダーリという作家が「ファンタジーのような言葉を一個投げて、そこから広がる想像性が重要」ということを言っていて、それと「お話」がリンクするんだと思うんです。

でも言葉といっても「言語」ではないんです。
子供達が発する言語じゃなくても言葉として彼らは取っていて、絵を描くことも、物を並べることも、彼らにとっては言葉なんです。 「表現」を「言葉」とした方がいいかな

彼らの文脈ではプロジェクトも物語の中で進んでいくんです。
例えば枯れ木があって2~3歳の子が「枯れているからここに服を着せよう」と二人で相談し、服を選ぶ、そして着せる。これも「物語性」なんですよ。

編集部:なるほど!そこが肝だと思うんですが感覚的に掴みづらくて。
日本人は物語って言うと、どうしても「おじいさんとおばあさんがいて…」っていう風になっちゃうんですが(笑)

竹丸さん「絵本の読み聞かせではない」というのはそこなんですよ。
もちろん絵本も大事なんですけれど「絵本を紹介すること」が大事なのではなく、受け取った者の想像性をかきたて、想像したお話が街に流れ、そこで子ども達は自由に羽を伸ばすんです。その場の子供達とのやり取りで進んでいく物語もある。
そういうことが日々ずっと行われている場所なんです。

子供達が音や絵で表現したいと思えばそれが「言葉」。彼らのベースというのは本当にそこです。

「子どもたちは生まれた時、百の言葉を持っている」という能力を、小学校などに入ってどんどん失ってしまう。大人が潰してしまう。 レッジョ・エミリア・アプローチでそれを防ぎたいんです。

本来幼児教育であるレッジョ・エミリア・アプローチですが、数年前からレッジョ・エミリアの小学校でも導入し始めています。
例えば化学で水の授業をする時に、ただ調べるだけではなくて、自分たちでいろんな方面から「どういう風に勉強していこう」というところからプロジェクト化する。最終的に演劇で発表したりするんですよ。その表現方法も子供達が選ぶんです。

スキルを教えないのに学びを発見させる存在「アトリエリスタ」って何者?

竹丸さん:レッジョ・エミリア・アプローチの幼稚園・保育園には必ずアトリエがあり、真ん中に「ピアッツァ」という広場があります。そしてアトリエっていうのは単に場所の呼び方ではなく、色々実験して、試して、表現できる場がアトリエいう考え方なのです。いろんな物が置いてあって、思いついた時に色々できる。
園にはアトリエリスタ(芸術の専門家)とペタゴジスタ(教育の専門家)という人が必ず配置されています。
アトリエにはアトリエリスタがいて、決してスキルを教えたりはしません

この前、現地のアトリエリスタが日本に来ておこなった「プロジェクターで物を投影する」というワークショップに参加したんです。
基本的にアトリエリスタは何もしないんですよ。どうぞって言うだけ。
みんなでプロジェクターを見ていると、小さいウェブカメラがあって、そこに映ると合わせ鏡みたいになるんですよ。それでみんなが「何でだろう?」「中にアプリケーション入ってるんじゃないだろうか?」とか色々探し出すんです。プロジェクターひっくり返したり。

アトリエリスタは「じゃあそれが答えなの?」って言うの。
みんなは「え?違うの??」ってなってどんどんどんどんいろんなことを実験し始めて、アートとか美術ではなく、疑問をみんなで解決していくんです。

そして最後に「答えはこれじゃないですか」っていうのを提示すると、今度はアトリエリスタが「じゃあ次どうする?」っていうわけ。答えは絶対言わないんです。
そしたらみんな「じゃあこれを使ってどう楽しめるの?」って、結局みんなでチューチュートレインしました(笑) ダンスするんですよ結局(笑) すごく面白かった!

アトリエリスタはこういう事が起きるんじゃないかっていうのを見通しているんですよ。実は凄い計算して物を置いたり、その現象には全く関係ない物を置いてみたり。仕掛けがいっぱいあるんですよね。
そういう探究型のプログラムをどんどんやらせる。アプローチってそういうことなんですね。

そして必ずそれをドキュメンテーションに残すんです。そのドキュメントは報告のためだけじゃなくてそれを子供たちが後で見ることで、また新たな疑問や発想が生まれる。
終わらないんです。学びって終わらないんですよ。

レッジョ・エミリア・アプローチ…なんて知的好奇心を刺激される! 自分はもうアレだけど、この幼子たちの学びの場が良いものでありますようにと祈るばかり。祈ってはだめか。とりあえず私はこの記事を書き世に伝えることで第一歩を踏み出す。

編集部:わーいいな。そういうふうに育ちたかったなあ。

レッジョ・エミリアの街は日本になくとも、本質の部分をイベントにしよう!

編集部:アルテナラはレッジョナラそのままではなく、日本に合うようにアレンジしているんですか?

竹丸さん:アレンジというか、「私たちができることをしよう」という考え方です。無理してイタリアのようにすることもないし。
贈り物の循環が起こるようにとか、子どもファーストであることとか、お話とか創造性がすごく大事であることとか、地域性とか、本質的なところだけぶれないように。

私たちは今レッジョ・エミリアのような「街」を持っているわけではないので、世田谷区の人しか来ちゃダメということはないです。「想いのある人達」がちょっとずつ始めて、それがいろんなところに広がればいいな。
持ち帰ったその場所で、やりやすいようにやればいいと思います。

編集部:なるほど。軸だけ持ち帰って各地で展開するんですね。

竹丸さん:それに2月にここでやった読み語りイベントでは、子供たちがパフォーマンスにガンガン入っていって、最後は子ども達がほぼ舞台を乗っ取ってしまったんです! 本当に楽しそうに参加してくれました。

2018年2月24日(土)、世田谷ものづくり学校で行われたキックオフイベント、「artenarra 〜レッジョ・エミリアからの読み語りイベント〜」の様子。「誰も排除しない」という思想や、演じ手と聞き手の垣根がない状態が実現されています。(写真提供:竹丸さん)

編集部:へー日本人でもそうなるんだ! イタリアの陽気な人たちだからできること、ではないんですね。


竹丸さん:その日はお昼から3ステージくらいやって、子どもたちも「この場所はやってもいい、誰にも止められないんだ」ということが分かったのでしょう。
椅子を並べてその上を歩いていくっていう最後だったんですけれど、4歳になるけれど言葉の表現が苦手だという子どもがトリを取っていて、お母さんもびっくりですよ!
やっぱりそういうことが起きるんだなーって…。

編集部:ぞくぞくしますね!

竹丸さん自分自身がやったことで場が変わる・作られる経験って、なかなかないですよね。忘れられない経験です。
「自己原因性」とか「双原因性」って言うんですが、自分がやったことが周りを動かす時に自分の存在を確認でき、さらに他者が自分の中で動いていることがわかるとお互いが影響しあう存在になる。自己に原因があり、そこから発する言葉っていうのはすごい重要だと思っていて、それがあると自信になって自己肯定感にもつながるんです。

たまに「何でもオッケーなんですか?」って聞かれるんですが、イタリアのお母さん達も躾はします。図書館で絵本を読んでいる時は静かにしなさいってちゃんと怒ったりもします。それはアルテナラでも同じで、なんでも自由というわけではありません。
でも子供達は「やってもいい場所」が瞬時にわかるんですよ。パフォーマーが出してるエネルギーなどを感じることで。

編集部:どこでも自由ってわけではなくてプログラムされた中で子供達と関係性を作っていくんですね。

竹丸さん:そしてそれが決してわざとらしくないんです。
「なんでも自然がいい」みたいな教育ではなく、細部にわたってコントロールされている、だから「アプローチ」なんです。
そういう上にレッジョナラが成り立っているんです。

編集部:なるほど。「勝手に自由に表現しろ」という放任ではなく、こういうことが起こるだろうということを先々まで細かく計算している。すごいです。

8月5日のアルテナラの楽しみ方

編集部:では8月5日のアルテナラ本番の内容を教えてください。

竹丸さん:10時から17時まで開催で、8個のパフォーマンスと3つのアートワークショップを行います。
5月から始まったアルテナラ講座の受講生たちが行う「5つのおはなし」では、5つのチームがそれぞれの表現でお話の世界へ連れ出します。
絵本「14ひきのあさごはん」を題材にした親子で行うお芝居あそび、天蓋におおわれた小さな秘密の部屋で聞くお話、小学生で結成された「こども取材班」がワークショップで作った映像作品を発表する、などです。

アルテナラ講座の受講生たちはレッジョ・エミリア、レッジョナラの精神を自分たちの中で咀嚼し、パフォーマンスとしてそれらを表現すべく、奮闘中です! 本番に乞うご期待! (講座については第3回で紹介します)


編集部:ではそれを誰にどうやって楽しんで欲しいですか?
対象は0歳から100歳までと書いてありましたが…。


竹丸さん教育に興味がない人でも誰でもふらっと来て欲しいです。
イベント単体としての魅力は「お話の世界」に気負わず居られること。1日誰がいて居てもいいんだなーっていう場所になると思うので、居たいように居てください(笑)
100歳のおじいさんが部屋でずっとお座りになっていても問題ないです。

編集部:それはすごく気が楽です。かしこまった演劇などにハードルの高さを感じる方や、子どもが騒いでも大丈夫かしらという方も、気負わず気軽に来てほしいですね! 静かにするどころか、むしろ一緒にお話しの中に入ってきてほしいです。

今後の展望は? 呼んでくれれば駆け付けます!!

編集部:来年以降の展開・展望はありますか?


竹丸さん:来年はアルテナラをそのまま続けて、講座もまた開きます。
それと2月のローリス・マラゲッツィのお誕生日に「レッジョナラの夜語り(よがたり)」というのを小さい規模で行なったりとか。

「他のいろんな場所でやりたい!」という人たちに声をかけてもらいたいです。私たちは行政でも個人でもお手伝いしていきたいと思っています。保育園など単体でやってもいいですし。
レッジョナラ、アルテナラの話が聞きたければ呼んでください! どこへでも行きます!

竹丸さん子供がお話を受けて想像し、そういうのを持って育っていたらどんなに素敵だろうと思って。そんな場を作っていきたいです。
大きな「舞台」でもいいんですけれど、でもやっぱり街のいろんなところで起こってほしい。わざわざ大きい舞台に何千円も払って行かなくても、お母さんとのお買い物帰りに道端でなにかやっている、そういう経験は絶対忘れないと思うんです。

そういうものが今後いろんな所に広まっていったらいいなと思うし、アルテナラと同じことをやりなさいっていうわけでもない。
アルテナラ自体もいずれ世田谷の人達で主導してやるようになったらいいなぁと思います。

編集部:着実にすごく前進していると思います! いつか世田谷区民も、その他の全国の街でも、自分たちの手で、街や子どもたち、そして自分のために主催していけたら素敵ですね!

──
ありがとうございました!
2回にわたった竹丸さんのインタビューはここまでですが、レッジョ・エミリア・アプローチの精神性や本質を本当にわかりやすい言葉で説明していただき、、貴重な資料としてもまとめることができました。

最終回はアルテナラ講師の山田宏平さんに、より具体的なアルテナラの楽しみ方をお聞きします! お楽しみに。
(文:野本 紗紀恵)

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アルテナラ
http://artenarra.jp/

artenarra 世田谷(アルテナラせたがや)8月5日開催!
きいて、みて、参加して!
おはなしの世界を楽しむ読みがたりフェスティバルを開催します。
子どもも、おとなも、おはなしの世界にみんなで飛びこもう。
IID 世田谷ものづくり学校のスタジオ、プレゼンテーションルーム、エントランスに
8つのパフォーマンスと3つのアートワークショップがやってくるよ。
日時:2018年8月5日(日) 10~17時
場所:世田谷ものづくり学校
参加無料、入退場自由、事前申込み制
peatixにてお申込みください。
https://artenarra-setagaya-2018.peatix.com/view

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