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『自然農法 わら一本の革命』で世に一石を投じた福岡正信氏の哲学はいま。福岡正信自然農園 三代目園主 福岡大樹さんに、自然農法の伝統と新たな循環について聞きました

平原 礼奈 │ 2020.01.24

農業の多様なあり方をめぐる旅

こんにちは。mazecoze研究所のひらばるです。
ここ数年「農」に携わる方々との関わりが深まっています。
コラム「タネがあれば、生きていける」の明石さん、農業と福祉の連携「ノウフク」を推進する日本農福連携協会のみなさん、イベントやSNSでつながった全国の農家さんも。
生きるために不可欠な食料を生み出す農業を、地に足つけて営むみなさんは、私にとって憧れの存在です。

そして気づけば、彼らの多くが「自然農法、自然栽培」と呼ばれるスタイルを実践していて。
自然農法、自然栽培は一般的に、無肥料・無農薬で、生物多様性を活かした農業方式のこと(自然農法と自然栽培も微妙に定義が違うらしく)。
私のような消費者の立場からは、環境に優しい、身体に良い、おいしいなど色々な考えから意識的に選択するものだとも言えます。

農業全体の中ではまだまだマイノリティである自然農法、自然栽培を実践する方々は、どうしてその決断をしたのだろう。取り組みを続ける中で実感していることは?
それぞれの考えや行動の中に、maze研が探究する多様な人生を切り拓くヒントがある気がして、教えてもらいたいなぁと思っていました。

そんな中、ノウフクプロジェクトの中心人物である日本基金の國松繁樹さんにご紹介いただき、ノウフクオンラインショップを運営する奈良の日本総合園芸 中村太郎社長と出会いました。
中村さんが商品づくりからブランディング、販売まで応援しているのが、愛媛県にある「福岡正信自然農園」さんでした。

福岡正信自然農園は、「自然農法の父」と呼ばれる農哲学者の福岡正信氏が起こした農園です。そして愛媛は私のふるさとであります!

世界から熱視線。福岡正信自然農園

福岡正信自然農園 三代目園主 福岡大樹さん

2019年夏、中村さんにお引き合わせいただき、愛媛県伊予市にある、福岡正信自然農園を訪ねました。
園主を担うのは、三代目の福岡大樹さん。福岡正信氏の孫としてその思想にふれ続け、25歳のときに就農したそうです。

初代の正信氏は、自然が本来持つ力で作物を育てる自然農法を提唱し、その四原則「不耕起(耕さない)、無除草、無肥料、無農薬」という独自の思想を農園で体現した哲学者。
世界各国を歴訪し、自ら考案した「粘土団子」で砂漠緑化に取り組んだ人物としても有名です。

本物の粘土団子を見せてもらいました!

この粘土団子、もんのすごくて。
手の平で包めるくらいの大きさのコロンと乾燥した泥団子の中に、様々な植物のタネが入っているのです。多い時には100種類以上!
これを緑化させたい土地に置いておくと、その場所や気候に合うタネが、環境に合わせた自分のタイミングで発芽するのだそう。
自然任せの粘土団子の手法は海外のあちこちで実施され、インド、ソマリア、中国、アフリカなど十数ヶ国でさまざまな植物の栽培や乾燥地帯の緑化に貢献しました。

正信氏の思想と実践がまとめられた著書『自然農法 わら一本の革命(春秋社.1975)』は世界数十カ国で翻訳され、アジアのノーベル賞と称されるフィリピンのマグサイサイ賞や、インドの最高栄誉賞、アース・カウンシル賞など数多くの賞を受賞。
正信氏の哲学はいまも世界中の人を魅了し、2008年に亡くなった後も、福岡正信自然農園には来訪者が後を絶たないそうです。

農園を訪ねてくる人の5人に4人は海外から。私が見学させてもらった日も、タイのチェンマイとメキシコから来た研修生の方々がいて、英語や日本語やいろいろな言語が飛び交っていました。

誰も到達できなかった福岡正信氏の哲学

福岡正信自然農園の農地は山、畑など合わせて約7ヘクタール。収穫の七割は柑橘類で、お米や野菜、他の果物も栽培しています。
「まずは農地を見ましょうか」と、大樹さんが車で標高250mmの山へ連れていってくれました。

直前の台風の影響で、大きな木が落ちたりぶら下がったりする山道を、大樹さんが都度車を降りて道を拓き登ります。
斜面には、菌がつけられた原木椎茸のクヌギの木がずらり。ここから椎茸が出てくるのは数年後なのだとか。収穫までには長い時間がかかるんですね。

原木椎茸の木

10分ほどで、頂上に到着。見晴らしが良いー。
道に沿って、小さな柑橘の木が並んでいました。
「これは2、3年。柑橘の木は植樹から3年ほどでほんのわずか果実ができます。下からはイノシシ、上からはカラスが狙っていて、つまり、真ん中の部分が人間の取り分やね」 と大樹さん。

様々な動植物の命が循環する山のてっぺんで、大樹さんにいろいろ教えてもらいました。まずは、名高い哲学者として、また大樹さんにとってはお祖父さまでもある正信氏について。

大樹さん「正信は、自分の理念をだれもわかっていないと嘆いてましたね。それは、孫である自分もです。正信の哲学を、完全に理解できた人は誰一人いません」

えええ! それはとても意外。
正信氏の哲学を変わらぬ形で受け継ぐことを、農園の理念とされているのかなと思い込んでいました。そうではなく、わかりきれない中からの歩みだったのだと。
誰も到達できなかった哲学とは一体、どのようなものだったのでしょうか。

大樹さん「大正2年生まれの正信は、小作を抱える庄屋の長男でした。学者として植物検疫をしていたこともあり、徴兵には入ったけれど、戦場に行く前に終戦を迎えたそうです。重い病気で死の淵をさまよった際“無の哲学”を見つけ、戦争から帰って鬱々とした中で、自分がどう生きたいのかを証明するために研究を重ね、“自然農法”を見つけたと聞いています」

「この世には、何もない」という正信氏の“無の哲学”は、同時に自然は完全なものであり、人はそれを完全に知ることはできないことも示していたのだそう。
そして、“無心、無為の生活を一途にめざし、ただ生きてゆくための食糧を作って生きる百姓の道に入った”正信氏が確立したのが、自然農法でした。引き算の農法、自然との調和、本質的なあり方の追求などとも表現されています。

大樹さん「正信は追求することにしか目が向かんかったので、家や妻子を養うということもなく、家計は苦しくなっていきました。
そこで、2代目の、父である雅人が大学卒業後に戻り就農して、家庭を支えながら、正信が提唱することを畑にフィードバックしていったんです。その実践を続ける中で、農薬はいらんなということもわかってきて」

正信氏が啓発する哲学を、研究と暮らしの両立を模索しながら畑で実践したのがお父さまや大樹さんだったのですね。

大樹さん「正信の哲学があることで、いまも人が集まります。
僕はその哲学を理解しきれんものの一人として、福岡正信自然農園を継ぎ、自分なりの、いまの世の中に合う流れを汲みながらやっています。そこからまた新しい人や自然との循環が生まれているかな、と感じてますね」

百姓として。人と作物を巡らせる農法への思い

真夏でもひんやりしっとり心地よい山道

時代とともに変化し、大樹さんの眼差しが加わった農園がいま大切にしていることは、何でしょうか。

大樹さん「なるべく人の力を入れず、自然の力を引き出すことを意識しながらも、人の営みと、土地の持続可能性のバランスを考えています。
この土地、その年の継続可能な収穫量の最大値を100%とした場合、100%を超えて収穫すると土地は痩せて削られます。
この100%は、農薬や化学肥料を用いることで技術的に押し上げることが可能で、一般栽培の農家はそれで収穫量を上げ、低価格を実現しています。
自然農法、自然栽培では、継続可能な収穫量を考えながら収量を上げ、同時にその作物と一般栽培との収穫差を価格で調整していかないと、農家の生活が続きません。
でも、時代はまだその価格帯を受け入れる状態ではないと思います。正信は無肥料を提唱しましたが、いまうちの農園では土の状況に合わせて有機肥料も使い、土力を補っています。作った農作物を周りの人に分けることで、百姓として生活を得るという視点を大切にしてますね」

自然を敬いながら、生活者としての暮らしも守る、そのバランスをとても大切にしている大樹さん。農法へのこだわりも教えてくれました。

山の頂にアボガド。「この農法でこの場所につくったらどうかという好奇心、遊びです」と大樹さん。

大樹さん「自然農法といっても、自然にして放っておくだけで何もせんのは農法とは言いません。作物を自然な形で作っていったら、最小限度の労力で食べ物が確保できるやろう、プロフェッショナルになったら人にも分けられるやろう、その実践が農法やと思います。
たとえば、病気になって弱っている食物を放っておいて生きるか死ぬかを自然に任すのでは、農法ではなくなっていて。枯れそうな木でもそこに作物を得ることができるんなら手をかける。判断基準は継続可能な最大量を作る、そのためには自然を見る目を持つことです」

先ほどおっしゃっていた、土の豊かさと収穫のバランスを守るために有機肥料を使うというのも、その視点から実行していることなのですね。

自然農法では、自家採種のタネや、無農薬・無肥料であることに重きを置く人も多い中で、大樹さんからは「こうしなければならない」というのを強く感じません。とってもナチュラル。 正信氏の提唱する自然農法の原則もある中で、どのようなスタンスで向き合っているのでしょうか。

大樹さん「正信が作ったお米は、いまもタネを取るため継続して栽培しています。固定種や在来種のタネも使うし、タネ屋さんが作ってくれたそうでないタネも使っています。
タネへのこだわりや、環境、安全を目標にしているんではなくて、本質を間違わなければできてくるものも間違ってこない、結果的に安全になるよという考え方です。
化学肥料や、農薬の類はこれまですべての作物に一切使っていません。でも、それもまた目的ではないです。何らかの理由があれば、やる可能性は否定しません」

不耕起(耕さない)や、無除草についてはいかがでしょう?

大樹さん「なぜ耕さないと提唱したかというと、耕すことによるリスクや問題点があるからです。耕すと土が瞬間的に柔らかくなりますが、その後、硬くなります。
正信が2、30年耕さないで作った土を使ったことがあります。土自体がとても肥えていて、栄養価が高かった。
そこで田植えをしたら、栄養がありすぎて土に負けてしまい、うまく育たんかったんです。その後15年ほど経っても、まだその土は他の田んぼより肥えていますよ。
一方で、栄養過多で虫が来たり、タネをつけようとせずに葉ばかり育てるということもあります。ある程度飢餓的状況を作るとタネを残そうと収穫物が増える傾向があるので。 土が豊かになるという耕さない利点には難しさもあるので、今は農園の畑は耕したり耕さなかったりします」

大樹さんからは一貫して、ルールではなく、自然の状態から正しいプロセスを見定め選択していく力こそ大切だ、という姿勢を感じます。
そこには、変化を見つめ続ける難しさと、自ら選択する自由のどちらもがあるように思うのですが。

大樹さん「それが自然農法をするカギになるし、逆に言うたら、その力がつけば誰でもできることやと思います。
農業には、こうしておけば大丈夫というものはありません。テクノロジーがこれだけの勢いで進化する中で、未だ作物は、今年は不作でしたということも多く安定しない。気候も10年20年単位で変わっていきます。
それだけ答えがない中でも、一流の百姓になれば、人があまり収穫できない時でも普通に採れるようになる。それは自然農法云々ではなくもっと根本的なことで。 いまの畑の状態を見て、何を求めているか、何が必要ないか判断できること。それが見定められなければ、収穫まで行かんし、コツコツと積み重ねていかないとどうにもなりません。自然の状態に合わせて柔軟に変えていくのが大切と思います」

つやつや光る柑橘の実

情報や知識を持った上で決めつけず、自然と対話しながらその時々に選択する。そこに自然農法の本質があるのだと。
私、自分の中で「自然農法といえばこう」と方法論から決めつけていたようで、大樹さんのお話に目からウロコがぽろぽろ。

大樹さん「僕はやはり、百姓で食うていくということにこだわっています。食べていくよ、生きていくよ、続けていくよ、というのがあって。
正信は、圧倒的に追求することに全てをかけた人間だったので、周りがそれに続いていったのでは、今の社会を否定することにもなります。そうではなくて、今ある中で自分がどう何を残せるか、ということを考えています。
もちろん、追求してくれる人たちがいて、僕らがまたもうちょっと気楽にやっていけるところがあるんだろうなと。みんなが同じやと変な力が入ってしまうよね」

平均を求めるために、多様性が必要

次に、車で山を下り、畑に移動してきました。このエリアでは、お米と野菜が栽培されています。田んぼ一面、たわわに実る稲穂かな!

正信氏から受け継いできたお米「ハッピーヒル」

畑には、山で見たのと似ている小さな柑橘の木と、周りにちょこちょこ、いろんな野菜や雑草? 同種の野菜が並ぶ見慣れた畑とは違う、少し不思議な光景です。

レモンの木の周りに、色々生えてる?

大樹さん「ここにはレモンやオレンジ類を植えています。一年生の木の周りには、オクラがあったりネギが生えていたり。どうせ草を生やすんなら食べられるものをと、有効活用しています。冬場になると、大根やカブや高菜や、たまにキャベツが同じ畑から採れますよ」

実にまぜこぜで、なんだかうちのおばあちゃんちの小さな畑に似ています(笑)
こうした形になったのはなぜでしょうか?

大樹さん「多様性というのを大事にしています。多様であればあるほど、問題が起きてもそれは一部のことになる。そうすると最終的に平均がとれる。それがより自然やろうなと。
たとえばキャベツだけを植えると、失敗するんですよ。キャベツが好きな虫が大量発生したり病気が起こったり。自然栽培で同じ種類の野菜をたくさん作っている農家さんは、並大抵ではないご苦労があると思います。野菜を大量に作るのはすごく難しい。
ここでは、色々なものが偏らず混在することで、一定量の収穫ができています。それが僕にとっての“平均”の考え方です。
いま畑を見ると、柑橘と草という感じですけど、草もできるだけ種類を多くしています。逆に、種類が偏るようならそれは、畑の状態が悪いんやなと見る。それを改善するためにはどうしていこうか、という目線でやっていますね」

陽の光を浴びてほんのりあたたかいブルーベリーは驚くほど美味!

均一のものづくりの平均ではなく、多様な中から生まれる平均(一定数の収穫)を得ていくほうが、全体として強いという大樹さん。
別の取材で精神科臨床医の先生から、レジリエンス(回復力、復元力、弾力性、生きる力などといわれる)という言葉を教えてもらったのですが、なぜだかそれが浮かんできました。畑も人も多様性があることで、しなやかに生きる力が高まっていくんだなぁー!

社会の土壌が、自然農法を促進する

農園の作物を届ける先である、消費者や地域コミュニティとのつながりはいかがでしょうか。自然農法という付加価値から、購入を希望する人が多いのではと思うのですが。

大樹さん「まだそこまで至っていないかなと思います。無農薬でも、農薬を使った場合とほぼ同等の収量が確保でき、味も自然本来の味わいでおいしいと言ってもらいますが、形や色はふぞろいだったり見栄えが悪いこともあります。
レストランなどに卸す場合、規格がバラバラで使いにくい、適量を図ることが難しいと倦厭されがちです。“使いにくいものを一番適正に使えるのが私の仕事ですね”と言ってくれた料理人さんもいて、すごいなぁと思いましたが、大半はうまくいかないですね。
手間をかけて提供することがどうしても必要になる中で、それを社会がまだ認めていないのがあるかなと」

大樹さんは、日本で自然農法を進める人の多くが、農業だけで生計を立てていくのが非常に難しい状況であることも教えてくれました。

ツルムラサキ

ふぞろいだったり、虫がかじったあとがあったりするのはなぜ? 消費者が生産の背景に思いを巡らせ選択していくことも、自然農法を促進する土壌をつくるのだと改めて感じました。

きゅうりとウリ

大樹さん「日本の作物はとても洗練されていて、甘くて綺麗です。 概ね虚弱なもののほうが甘みが出やすく、強いものほど酸味が出やすいという特性があって、とことん虚弱体質に落とし込んで繊細なガラス細工のような作物ができていることもあります。特別な時に送る贈答用のものも、あっていいと思います。
でもうちは、できれば木材のような作物を。いつもの食卓に毎日並ぶ、オーソドックスで自然な作物でありたいです」

正信氏の実験はいまなお続く

最後に、福岡正信資料館「無想庵」でおいしいジュースをいただきながら、衝撃的なお話を聞かせてもらいました!

爽やかで濃い甘夏ジュース

大樹さん「正信が亡くなる15年ほど前から研究場にしていた山があります。触るなと言われていました。いま25年ほど経って、そのままにしていますが、すごい状態なんですね。正信の山に生物学者の人が来たことがあって、人の手が加えられた森、自然のままの森、そのどちらとも違う循環がうまれている、と驚いていました」

「無想庵」には、福岡正信氏の書や研究資料がずらり

正信氏は死してなお、研究を続けていた……。そして新しい生態系がめぐる山は、手をつけない形で大樹さんがいまも守っているのだと。ぞくぞく。

大樹さん「最終的に作物に完全自立をさせることができるというのを、正信はこれまでも実験していて、現在進行形でその実験が続いています」

完全自立なのに自然のままとは違う作物って、なに。想像力が追いつきません!

大樹さん「どうなっていくかというと、一定量の収穫は確保できるけれど、収穫することが困難な形になっていきます。人間はわざわざ早めに収穫してそれを発送し、10日後に一番食べ頃になるようにします。それは木にとっては不自然なことで。
完全なる自然な形で育った作物は、収穫されたくないんです。一番良い時に自分で落とすよ実を、繁栄を図るよ、と。
それで、圧倒的に自然寄りにすると、一本の木からたくさん収穫することが現実的に不可能な形になります。“これは特殊なものです”と、1玉1万円とか高値で市場に出す方法もあるかもしれんけど、人間の都合をどこまで組み入れていくか、というのも農法です」

突き抜けてるなぁー……と圧倒される正信氏の研究や思想は、ともすれば神格化もされやすかったそうで。
周りが自分のことを信奉しだした途端、「そうしたらいかん」と叱り、追い返し、世界中の多くの人から尊敬されながらも、正信氏は生涯弟子と呼ぶような存在をつくりませんでした。

「全然普通の、変わった爺さんでしたよ」と笑う大樹さん。
大樹さんは農園に立ちながら、正信氏の存在を伝える語り部で、いまなお続く研究を見守る人でもあったのですね。

大樹さんをご紹介くださった日本総合園芸の中村社長(左)とは、2週間後に東京でばったり。またその1か月後にタイで!

今回の訪問を振り返ると、私は大樹さんに著名な哲学者の孫としてのあり方や発言を期待していたことに気がつきました。
でも、ご本人から語られる言葉は、自然で自由で、必要なことはすべて自分の目を通し選択されていて。予定調和でない発言のひとつひとつに戸惑いながら、とても心動かされました。
正信氏が生きた証の先に、大樹さんの思想や行動が重なり、これからの農園を作っていくことに、改めてわくわくします。

大樹さん、貴重なお話をお聞かせくださりありがとうございました。
帰省の際にはまた寄らせてくださーい。

●福岡正信自然農園webサイト

オンラインショップ

研究員プロフィール:平原 礼奈

mazecoze研究所代表
手話通訳士
「ダイバーシティから生まれる価値」をテーマに企画立案からプロジェクト運営、ファシリテーション、コーディネートまで行う。
人材教育の会社で障害者雇用促進、ユニバーサルデザインなどの研修企画・講師・書籍編集に携わった後に独立。現在多様性×芸術文化・食・情報・人材開発・テクノロジーなど様々なプロジェクトに参画&推進中。

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