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まぜこぜだよ人生は2018.07.10│研究テーマ:コラムぐろ

第3回:赤メガネと私 -結婚までの道のり- の巻

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第2回

mazecoze研究所をご覧のみなさんこんにちは、ぐろです。
前回2人の馴れ初めについて書いたところ、「面白い」「笑った!」といったラブストーリーらしからぬ反響をいただきました。


今回は客観的にもコメディ要素強めな出会いであった私たちが、キチンと結婚にまで至った道筋も記しておこうと思います。

2001年、入籍した日の記念写真

まずは当時、一応まだ既婚者であった赤メガネが、けじめをつけるところからでした。 友人間では暗黙の事実としても、離れて住む親や縁者には思いもよらない状況でしょう…と想像していたら、なんかそうでもなかったようで。
交際スタートから2カ月経った頃に単身で帰省して、義母さんに結婚生活が破綻した旨話したところ、あっさり「そうだと思った」と言われたとか。さすが母、息子のことは何でもお見通しなのですね。



翻ってもう一人の母(つまり私の実母)がどう考えてたのかは、未だに分からないのですけど。

バツ1、酒呑みというスペックは気に入らないものの、難しい病気を抱えた娘が結婚する可能性を潰していいのか?という逡巡だったのではないかと察しています。
とにかく私には赤メガネのあらゆることにケチつけまくるくせに、彼が独り暮らしを始めた途端、車で通えるよう部屋近くに駐車場を借りろ!駐車場代も出す!と、事実上半同棲を認める様な事を言い始め。

ありがたい?話ですが物事には順序があります。一人身に戻って即他の女と暮らしてますでは、まるで私が別れた原因みたいに取られかねない訳じゃないですか。

交際スタート間もないのに、相手方の親の心証を悪くしかねない事をいい歳こいたオバちゃんが実の娘に薦める意図。未だに不明です。
それでも私を追い出したかったのか、結局母に押されるまま、週の半分以上は6畳一間の赤メガネ邸に居候する身となってしまいました。



こんな経緯で始めた居候生活も、外に行かずとも一緒に呑める、という点では便利でしたが、さすがに6畳は狭すぎるということで。1年ほど経って赤メガネが異動になったタイミングに、家賃折半でもう少し広い所に引っ越すことになりました。
居候から同棲への昇格です。
そして同棲開始の時点で、互いの親同士の顔合わせも行いました。

とはいえ、外呑みの楽しさも捨てがたい!ルンルン!!!

ここまでくれば、互いに結婚が視野に入っている状態と呼べるのでしょうが。

私には自分の病気の事を、赤メガネの母や親類達に受け入れられるとは思えなくて悶々としていました。



以下からは当時の私のダークサイドと申しますか、今でも思い出すと辛い部分なのですが。時間をかけて向き合い、自分なりに整理してみようと頑張ったので、不快でしょうがお付き合いいただけると嬉しいです。



私の病である顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSHD)は、遺伝をするケースと突然変異で発症するパターンがあります。そこをはっきりさせるため、医師からは家族も受診するよう薦められていました。しかし実母にとっては、私がそうである事も受け入れ難かったっぽいのに、家族がなんて以ての外。病気の事は他人に口外するな!と言われてました。
私はこの意味を、姉妹やいとこたちの縁談にそういう病の縁者が居る事が、悪影響を与えかねないから、という風に受け止めて、ごく少数の友人以外には知られないよう、歩き方や動きが変と気付かれない様、細心の注意を払って生活していたのです。
いやいや、全然隠し切れてないから!と今なら自分でツッこみたい話ですけどね。



そんな中、事実を知っていた数少ない一人が赤メガネで。

興味本位で私の病のことを探る人たちから守ってくれただけでなく、病の事は自分にとって何の障害でもないと言ってくれた初めての人でありました。

実母からは病気を隠せと言われてた状況で、全てを受け入れ、不安や弱音を吐くことを許してくれる存在は有難く。家から離れ、この人と暮らすことで、病も込みの人生、本来の私の人生を進むことが出来ると感じてました。

でも結婚となると、それはあまりに高望みのように思え。

言っておきますが、本来の人生とは酒を呑むこと以外も含まれてますからね

彼の幸せを親の立場になって考えれば、治療法もない、今後どこまで悪化するかも見通せない難病患者と一緒になるなんて、自ら進んで苦労を抱えるようなものだと思うのです。反対するのが当然です。
実際、親同士の顔合わせをした夜、赤メガネ母からは「よく考えなさい」と電話があったそうです。想像していた通りの話だというのに、悲しくて泣きながら眠りについたのを覚えています。

あともう1つ実母とのことで、私の心に深い影を与えていたのは。

このエッセイの第1話にも書いた通り、私は自分の体の変調の本当の理由を知りたくて、自ら病院を訊ねました。その結果出た筋ジストロフィーという診断名は、私には納得のいくものでしたが、母にとってはパンドラの箱が突然開いたような、幸せな家庭をぶち壊すような話だと受け止めてるような気がしてならなかったのです。

家族にそんな災いをもたらした私が、1人だけさっさと抜け出していいのか?

とにかく秘密が最優先であれば、このまま同棲を継続する形でいい。赤メガネの愛情が切れたら終わり。それなら誰も巻き込まずに済むので丸く収まる、と諦めモードになってました。

オレに任せたまえ…って見るからに怪しい

赤メガネは自分側の周囲には時間をかけて納得して貰う、という方法で解決したいと思ったようです。
確かに「考えなさい」とは言われましたけど、別れろとは言われなかったのは事実で。

かといって、何か自ら親族(彼は幼少時に実父と死別したため、伯父たちが父親代わりでして)を説得するのではなく、話を切り出せそうな雰囲気が来るのをじっと待つ戦術でしたから、同棲3年を経ても進展は無く。

このように完全に暗礁に乗り上げた結婚問題でしたけど。
後に知ることになるのですが、実はこの間、赤メガネ母は医師の親戚にこの病気の事を教えて貰ったり、私を家族として迎えることについて、周囲に相談してくれてたそうなのです。

当事者の私ですら、自分が結婚して良い身なのか不安で、諦めかけてたというのに、お義母さんが最も真剣に受け止め、私たちの幸せを模索してくれていたのです。



斯様な赤メガネ母の隠れた尽力に助けられ、私たちは交際4年半目に赤メガネの伯父から「好き同士なんだろうし、そろそろ籍を入れたら?」と言っていただくことになりました。

ここまでイジイジと悪い方向にばかり考えていた私も、この一言でやっと呪縛が解けたような、そんな気持ちで結婚することを決めたのです。

いえ、それは呪縛ではなく自縛だったなと、今だから分かります。

そして今年で結婚生活は18年。私の病の問題はありますが、リアルな私たちは一緒に笑ったり、ぶつかり合ったり、共に協力するところもあれば、個人プレーでフォローしあうこともある、ごくごく普通の夫婦です。

そしてそしてお義母さんも。日々赤メガネと仲良く暮らせている事を、とても喜んでくれているようです。私を温かく迎え入れてくれたお義母さんへの感謝は、決して忘れません。

ということで、みんなに支えられ結婚生活は18年

これからもよろしくお付き合いください

今回の話、実母の悪口を書き連ねたような感もありますが、言いたかったのは。
今現在の私の能天気さにはそれなりの深みがあるんだからねアピールと共に、誰にも理解して貰えない(と思いこむ)孤独感の解消には、その人に寄り添ってくれる存在が不可欠だということです。
なので皆さん、周りに昔の私みたいな人がいたら、手を差し伸べてあげて下さい。

えっ?あんたみたいなのが増えたら社会の迷惑ですって???(笑)

とまあ、最後にヲチもついたところで、「赤メガネと私」を〆させていただきます。
次回は家庭を離れ、日々思うこと等を綴らせていただこうかと思ってます。では!

ぐろ

東京生まれ東京育ち。主婦、歯学博士、顔面肩甲骨上腕型筋ジストロフィーのお笑いコンビ「エログロナンセンス」のネタ担当、共用品ネットメンバー等々ジャンルの異なる肩書きが混在する奇跡のマゼコゼスト?趣味飲み歩き。

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