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第14回:出産から分断を包み込む

石田 恵海 │ 2018.01.19

第13回

2018年もみなさん、どうぞよろしくお願い申し上げます。今年の目標、それはもうこれしかありません。「MAZE研のコラムを毎月ちゃんと書くこと」です。いやいや、ホントだってば! 

たくさんの方がご心配してくださったのですが、おかげさまで、予定通り7月10日に無事、三男の夢作(むく)が産まれました。和作(わく)、穂作(ほく)ときて、3人目が夢作(むく)。これで作の字兄弟コンプリート! そして、その三男は今月で生後6カ月になりました。

近頃はお昼あまり寝なくなって、「寝てるすきに仕事しちゃおう!」が難しい日もあるのですが、年も明けましたし、思った以上にこのコラムを読んでくださっている方が多く、「このコラムを読んで……」とお店に来てくださる方もいらっしゃるので、これはやっぱり今年は「毎月、MAZE研コラムを這ってでも書く!」を目標にするしかない! ということで、あらためまして今年もどうぞご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

NICUにて初めて三男を抱っこしたチチの人と。長男と次男はNICUに入れず、次男は「パパだけずるい。早くむっくりん(三男のあだ名)を抱っこしたい!」とすねて泣いて、その様子を見て私も泣いた(写真左)。生後6カ月になった三男。手足はちぎりパンのようで、指2本おしゃぶりが基本(写真右)

帝王切開の現実、受け入り難し

今回は書き残しておきたいと思いながらなかなか着手できなかった、出産の話を書きたいと思います。出産したのはもう半年も前の話にはなるのですが、年始に「自然分娩は偉い。帝王切開をした女性は楽」という誤解をされたSNS投稿を目にし、この話題に向き合いたくなりました。

私の三男の出産は胎盤の位置が低かったため、自然分娩ではなく、帝王切開を余儀なくされました。前回のコラムにも少し書きましたが、帝王切開と決まった時、私はものすごいショックでした。
長男と次男を出産した助産院での、家族に囲まれて、その時自分が選んだかっこうで産める「アクティブバース」といわれるフリースタイルの出産を経験してきたので、制限の多い病院での出産に抵抗感がありました。そのうえ陣痛もなく、いきむといった自分の力を使えず、医師に委ねるしかない帝王切開だなんて、と。
しかも、すべての病院がもちろんそうではないと思うのですが、帝王切開する日取りをミーティングのアポを決めるかのようなデリカシーのない医師の言葉選びなど、病院の医師の対応には憤りを感じるばかりだったのです。

しかし、落ち込んでばかりもいられませんから、病院では私なりに気丈に振る舞っていたつもりでいたのですが、看護師さんたちが皆、とっても気遣ってくださるのです。これまで助産院で出産されていた人が病院での出産、しかも帝王切開に決まったのはおつらいでしょう、と。さらに当初、出産予定だった助産院の助産師さん、おなかが大きくなるにつれ、つりやすくなった足にお灸や鍼をしてくださっていた鍼灸師さんまで、気遣ってわざわざ電話をくださいました。きっとたくさんの出産する女性たちを見てきたからこそわかる出産回りの職業人の女性たちの心遣いに、何度も涙が出ました。そして、私もこういうやさしさの持てる人になりたい。そう思いました。
医療技術の進んでいない時代に低位置胎盤だったら、三男は産まれることはなく、きっと死産だったはずです。帝王切開(カイザー)という言葉が生まれた古代ローマ時代にもし生きていたら、子を取り出すために母体の私は確実に殺されていたのだろうなと思うと、帝王切開という技術の発展があってこそのいただいた命なのだと感謝の念も湧いてくるのでした。

兄ちゃんたちの三男に対する激愛ぶりは想像以上で、夜は三男の横に寝たくて、ポジション争いでグーパンチを繰り出す激しいケンカをすることも。やれやれ。ハロウィンの時は「かわいい、かわいい」言いながら、ピンクの雷様に三男を変身させていた(写真右)

出産を経験したすべての女性たちに喝采!

それでもやっぱり、帝王切開の日の前日に病院に入院すると、出産は病気でもないのに、病院というロケーションが病人のような気分に私をさせました。明日、自分のおなかから赤ちゃんが産まれてくるなんて信じられず、ちいさな陣痛さえも味わえないのかと、この期に及んで残念にも思ったのでした。
よく陣痛は痛い、出産はつらいと語られがちですが、陣痛はどんなに感覚が短くなっても、たとえ痛みが強くなっても、不思議なことに「1回の陣痛は1分」と決まっているのですよね。ご存知でしたか? だから、1分間やり過ごすだけ、と考えれば、気持ちも少しは楽なはず!?
実際、次男の出産時、陣痛と陣痛の合間は立ち合っていた長男とふつうに会話をしていましたし、出産そのものはとっても気持ちが良かったのです。なにせ、次男を出産した時はあまりの気持ちよさに、その直後にもう一度出産したいと思ったほど! きっとアドレナリンやらオキシトシンやらが爆発的に分泌していたからでしょうが、その気持ちよさが味わえないのか……という意味でも、私は帝王切開がショックだったのだと思います。

帝王切開の手術は下半身麻酔でした。私のおなかのあたりに下半身が見えないようにタオルで壁をつくられ、そのタオルの向こうで手術が行われていくわけですが、電気メスで自分の肉体が切られて焼かれている匂いはするし、赤ちゃんがいよいよおなかから出る時に、グイグイおなかを押される。痛くはないけれど、臓器を触られている感触が重いし苦しいし気持ち悪く、その行為そのものがつらく、涙が出てきました。しかし、手は固定されているので、自分で涙を拭うことはできません。
赤ちゃんが産まれても固定された私の指先にちょんちょんと赤ちゃんを触らせてもらえただけで、すぐどこかへ連れて行かれてしまいました。私の赤ちゃん……。カンガルーケアなどありません。寂しいやら悲しいやらつらいやら、ハッピーなはずの出産現場なのに、どうにも言葉にしがたい感情が湧き上がり、ますます涙が流れてくるのですが、それを拭うこともできない状況のなか、手術に耐えている私のおなかを、私という存在がいるのを知らないかのように、医師らは何かの打ち上げの話を楽しそうにしながら縫っていました(苦笑)。

誰だ!? 私に「帝王切開は寝てるだけでいいから楽よ」と言った人は!? 術後、経膣分娩とはまた種類の違ったおなかの痛みがきつくてきつくて起き上がれないベッドのなかで、悶絶しながら自然分娩も帝王切開もどっちもすごいことだなと考えていました。出産を経験したすべての女性たちに喝采の拍手を贈りたい。そんな気持ちになりました。

11月には念願の映画上映会を畳の間で開催。命を考えるドキュメンタリー『うまれる』を上映した(写真左)。八ヶ岳観光圏開催のシンポジウムに呼ばれた際は子連れで登壇(写真右)。途中、ライトが熱くてこどもが泣き、こどもだけステージ下にいる夫に預けた際には会場から温かい拍手が湧き起こった。その数日後、熊本市議会での緒方市議の報道があり、八ヶ岳の方々の包容力にあらためて感謝した

ハハたちの愛おしい表情が愛おしくて

三男は37週で産まれながらも3000gあったのですが、産道をゆっくりとくぐり抜けて産まれてきたのとは違い、おなかから一気にこの世に出されたのですぐには呼吸が定まらないということで、産まれてすぐNICU(新生児集中治療管理室)で酸素保育器に入りました。そんな我が子が不安なので、早く会いたい。ずっと一緒にいたい。でも、我が子に会いに行けるのは日に3回ほど。そこへ行って、保育器の穴に手を入れて、赤ちゃんにミルクを飲ませたり、オムツを替えてあげたりするのですが、保育器から出して抱きしめることはまだまだできないのです。
NICUという存在は知っていましたが、まさか我が子がそこへ入ることになるとは考えたこともありませんでした。それはきっと、NICUに我が子が入ることになった親の人すべて、そう思っているはずです。
決まった時間に行くと、NICUにこどもがいる同じ顔ぶれのママたちに会います。行けば皆、看護師さんや医師に聞くことは同じ。「うちの子は、いつ酸素保育器から出られそうですか?」。
NICUで保育器の穴から手を入れて三男にミルクを飲ませながら、はっと私は気づきました。ここで私と同じように穴から手を入れてミルクを飲ませているママたちは皆、出産してからまだ一度も我が子を抱きしめていないんだよな、と。

数日して呼吸が落ち着いたからと酸素保育器から卒業した我が子を抱きしめた時の気持ちは、長男次男を出産してすぐカンガルーケアで抱っこした時とは別格の重みがありました。やっとやっと腕のなかに抱きしめられる喜び!
NICUで酸素保育器から卒業した我が子にやっと自分のお乳をあげながら、保育器にいる我が子にミルクをあげたり、おむつを替えたりしているママたちを眺めていると、母親という存在になってまだ数日なのにみんなちゃんと母親の顔になって愛おしそうに我が子と接している。私はその母親たちの表情を愛おしく思い、NICUに行くといつも感極まって涙ばっかり流していました。三男はこの光景を私に見せるために、低位置に着床したのではないかとさえ思うほどに。ここで見聞きしてきたものはきっと私、一生忘れないんじゃないかな。
そんな喜怒哀楽の感情マゼコゼの素晴らしい経験をした1週間を経て、家族みんなが私を迎えに来てくれました。その八ヶ岳へと走る車の中から、季節が変わったことを感じました。車窓から外を見ると、ひまわりが咲き、ひぐらしが鳴き、夏野菜が実をつけている。2017年の私の夏は三男とともにやってきたのでした。

12月、クリスマスツリーを飾りたいという兄弟の希望にこたえ、カフェとアンティーク、庭づくりなどを行っているお店「DECO BOTANICAL」さんで生ツリーを掘らせてもらった。飾りはバケット。本物のツリーにこどもたちは大興奮だった

人の選択や生き方に優劣はない

今年の年始早々、冒頭で書いたような記事をSNSで読んだのでした。そこには、お正月に帰省された実家にて、親戚の女性が自宅出産をし、それを誇りに思っていると周囲に語り、SNS投稿者の女性に対して「あなたは帝王切開だから楽でよかったね」と言ったという話でした。投稿者の方は「ちょっと愚痴」なんて言いながら「帝王切開あるある」だと書かれていましたが、それを読んで私はひとりショックを受けながら、言いようのない感情がぐるぐるして、そこにコメントも書けないくらい打ちひしがれたのでした。

助産院や自宅などで自然分娩をした人は、自分で産んだという女性としての誇りや自信みたいなものを持ちやすいし、ドヤ顔で語っちゃうのもとってもよくわかる。私だってそんな面ありますから。
だけど、帝王切開で産むのは楽だとは思ったことはないですし、実際まったくもって楽ではない。むしろ私は自然分娩よりもしんどく、帝王切開をした女性たちはこんなにつらいを思いをしていたのかと身を持って知ってよかったと思っています。助産師さんのなかにも帝王切開での出産を劣っているようなニュアンスで語る人がいるけれど、命に優劣がないように、出産にも優劣なんて決してない。
この1年、社会の分断化がさらに細分化されてきた感がありますが、出産するかしないか、自然分娩か無痛か帝王切開か、男の子か女の子か、紙おむつか布おむつか、抱っこかおんぶか、ワクチン打つか否か……。そんなことで女性たちを「●●派」などといって分断するのはホントもうやめにしようよ!と思います。ひとつの尊い命が誕生した、それだけで奇跡なのだから。その命を育てていくのはハハではなく、社会なのだと思うのです。
分断社会を解くための多様な選択や生き方を包容できる学びの場づくり。実はそれも、私の今年の目標のひとつです。お店のある古民家や宿場町、八ヶ岳という自然あふれるロケーション、地域の食材、お料理、ここに暮らす人々、都心で暮らす人々……。そんないろいろな要素を交えて、面白がっていきたいと考えていますので、ぜひいっしょに面白がりに八ヶ岳へいらしてください!

第15回

石田 恵海(いしだ えみ)

1974年生まれ。ビオフレンチレストランオーナー&編集ライター
「雇われない生き方」などを主なテーマに取材・執筆を続けてきたが、シェフを生業とする人と結婚したおかげで、2011年に東京・三軒茶屋で「Restaurant愛と胃袋」を開業。子連れでも楽しめる珍しいフレンチレストランだと多くの方に愛されるも、家族での働き方・生き方を見直して、2015年9月に閉店し、山梨県北杜市へ移住。2017年4月に八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」を開業した。7歳と6歳と1歳の3男児のかあちゃんとしても奮闘中!
Restaurant 愛と胃袋


第1回:ハロー!新天地
第2回:熊肉をかみしめながら考えたこと
第3回:エネルギーぐるり
第4回:「もっともっとしたい!」を耕す
第5回:「逃げる」を受容するということ
第6回:生産者巡礼と涅槃(ねはん)修行
第7回:「ファミ農」、はじめました。
第8回:東京から遠い山梨、山梨から近い東京
第9回:土と水と植物と身体と
第10回:自立と成長のこどもたちの夏
第11回:自分らしくあれる大地
第12回(前編):今年は引越・入学・転園・開業・出産!
第12回(後編):今年は引越・入学・転園・開業・出産!
第13回: 素晴らしき八ヶ岳店スタート&出産カウントダウン!
第14回:出産から分断を包み込む
第15回:味噌で、映画で、交わる古民家
第16回:夫、妄想殺人事件!


研究員プロフィール:石田 恵海

つくるめぐみ代表
得意なテーマは自ら実践する「田舎暮らし」「女性の起業」「自由教育」。八ヶ岳ガストロノミーレストラン「Terroir愛と胃袋」女将であり、「自分らしい生き方」などをテーマとした編集・ライターでもあり、三兄弟の母でもあり、こどもたちをオルタナティブスクールに通わせている。「誰もが、オシャレしてメシ食って恋して仕事して、最期まで自分を生きられる、自立した社会づくりに貢献すること」を理念に活動。2020年より古民家一棟貸しの宿、棚田を愛でながらコーヒーを楽しむカフェ・ギャラリーも開業する。
Terroir 愛と胃袋

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